誰が考え、誰が決めたのか知らないが、もう僕は元号を使わない。2019と書き始めることに慣れたから、不自由はない。むしろ今が平成何年か確かめないと自信がなくなった。今度の茶番で唯一僕にメリットがあったのは、西暦を使うことに一本化できたことくらいだ。アホコミのお祭り騒ぎ、いや政権との取引みたいな茶番劇は極力チャンネルを変えることで見ずにすんだが、不快感は空気感染して今も残る。
 これにはかかわれないだろうと言う筆頭の悪人がどうもかかわったらしいから、いよいよ使わないことにしたのだが、本来生を受けてはいけない人間が、狡猾に蘇り、狡猾に世を渡り、国の政治を左右している。国民も馬鹿にされたものだ。かつて、祖父母やおじおばを殺された人間が、張本人の直系を政治の世界に送り込むなんて、哀れなものだ。国のカネも権力も意のまま、いや法律までも意のままにしている「汚べ」こそ塀の中だろう。ゴーンどころの比ではない。