生協

 新幹線で漢方相談に来てくださった若い女性が、大都会の漢方薬局は「入りにくい」と言った。なぜだか聞かなかったが、相対する僕の薬局は「入りやすかった」かもしれない。邑久駅から来る途中は道の両側に田んぼや荒地が広がっているから「心配だっただろう」と言うと、道が曲がりくねっていたので心配になったと言っていた。そういえば都会はそんなには曲がらないと言うか、曲がるなら直角が多い。田舎は山に沿って道路が走っているから、確かにカーブが多い。言われてみて初めて気が付いた。外の人でしか分からない気づきだと思う。
 連続で仕事をしていたから昼食を食べる時間を逸していた。その女性も食べていないことが分かったので、生協で買った豚マンを相談机の上に広げて一緒に食べた。中国人街があり、わざわざ遠くからそれらを食べに行く街から来た人に、生協の豚マンを出したのだから、さすがに妻も恥ずかしかったみたいで、彼女が帰った後、失礼なことをしたかなと反省していた。
 これは想像でしかないが、もし僕の薬局が都会の漢方薬局と違って少しでも入りやすかったとしたら、仕組まれた権威がないってことに尽きると思う。権威で治さないし、権威で暴利をむさぼらない。そもそも僕の薬局は漢方薬局ではない。サロンパスも売るし、処方箋調剤もするし、老人施設の調剤もやっている。それぞれがなんとなくバランスを保っているので、いかにもそれらしい飾り付けもしない。来てくださった人に自分たちの能力で出来ることをする。ただそれだけなのだ。だからサロンパスも医療用の薬も漢方薬も必要なだけなのだ。
 帰る前にオリーブ園に上ってみると言うので妻が頂上まで車で送った。帰りは歩いて下り、バス停からバスに乗り帰っていくらしかったが、頂上から見る瀬戸内のやさしい風景に癒されて又都会に戻っていく。僕の漢方薬と、ゆっくりと流れる時間と、人の少ない風景で望まれる体調を取り戻してほしい。殺気立ち、殺伐とした大都会ではありえない心模様をお土産に、新しい1枚のページをめくってほしい。