仕草

 僕は、来日したてのベトナム人に必ず、日本に来た理由を尋ねる。僕に出来ることなら、それらをかなえられるように手助けする。今まで多くの僕に対する希望を聞いてきたが、東京に行きたい、富士山を見たい以外には恐らく応えられたと思う。
 希望を尋ねた中のおよそ6割から7割くらいが、親指と人差し指をすり合わせるようなしぐさをする。当初何の意味か分からなかったが、通訳がお金のことだと教えてくれた。日本人だったら親指と人指し指で輪を作り胸の前に立てるのが一般的な表現だが、彼女たちは、お札を数える仕草を真似る。日本人が硬貨を意味する仕草をするのに比べれば向こうのほうが欲深い。
 日本人だったら初対面の人に望を聞かれて「お金」と答える人はかなり少ないと思う。実際にそれを目的としていても口に出すのははばかれる。品位を疑われかねないことを知っているから。ところが彼女たちはなんら躊躇いがない。僕がいかにも驚いた顔をするとさすがに気がつくのか、恥じらいを見せるが、直球の返事にはしばしば違和感を持ち続けてきた。
 ところが昨夜寮に行ったときにその答えを見つけることが出来た。おそらく10数年疑問に思い続けていたが、やっと痞えが取れた。そのおかげで、またその理由のおかげで、今までの接し方に間違いがなかったことを知った。
 ベトナムでは、多くの人が45歳で勤めを辞めるのだそうだ。定年だと思うがそこは通訳がまだ未熟で定かではない。とにかく45歳まで働いて、後は孫の世話をするらしい。となると勢い稼ぎは若者にかかっている。若い人が都市部に出て働き、両親、あるいは祖父母に仕送りをするのが普通のパターンなのだ。日本とは逆だ。日本ではいつまでも働き、わが子のためにお金を使う。それが仮に50歳、60歳の子供でも同じだ。ベトナムでは親や祖父母を尊敬し大切にするが、日本では子供のほうがえらそうにしている。
 まるで反対のパターンを僕は行ったり来たりしている事になる。家にいると子供優先の日本人の生活をし、寮を訪ねれば親中心の接遇を受ける。とても大切にされる。ベトナムの親はこんなに幸せなのかと羨ましくなるくらいだ。日本では経験できないくらい大切にされる。彼女らにとって日本のお父さんも、実のお父さんもあまり変わらないのだと思う。
 日本に来たばかりの女性が、8面円の給料をもらい、4万円仕送りする場面に出くわしたことがある。まだ来たばかりで残業が少なく給料も少ないにもかかわらず半分を送っていた。生活費を残して残りを送るのだろうが、その中から日本で芸術や文化財に触れる旅行に当てるお金はあまりないはずだ。そこだけに焦点を当ててお世話をしてきたが、ただひたすら働いて帰るだけではあまりにももったいない青春(日本)時代を、少しでも豊かにしてあげたい。
 親指と人差し指をこする仕草に、意志の強さをみる。