自由

 全身麻酔も3回目だから人生初の有給休暇みたいな感じで行ったのだが、ちょっと違っていた。細胞検査はフォローの厳密さが違う。単なる検査だと麻酔の影響が完全に消えたら帰れるのだが、生検は出血が止まらなければならないので、安静度が違う。抗生物質などの点滴を常時2本くらい刺され、ベッドの上に3時間くらい横たわっていた。その後は点滴を引きずりながら行動をしてもよいのだが、なにぶん暇で、川崎病院の特別室はよすぎて外部の物音も聞こえない。時折というか、しばしば検温や酸素濃度や何やかやと調べに来る看護師さんが、救いになる。
 食事は摂れないから、お茶を飲むくらいしか口に入れるものはないのだが、点滴で朝から水を入れられているのでのども渇かない。本当にすることがなくて、こんなことなら4人部屋を頼めばよかったと思った。
 帰れるまであと18時間などとある程度の予測を立てて暇と戦っていたが、なかなか暇というのに慣れていないからかなりのストレスだった。テレビも備えられていたが、ニュースくらいしか見ないのでそのはしごでは時間はつぶれない。ただひとつよかったのは、水戸黄門を最初から最後まで見れたこと。普段は最後の10分(印籠を見せる場面)だけ家族に見つからないように2階に上がって見るのだが、最初から通して堂々と見えたのはうれしかった。しっかりと最後は涙を流した。
 まあ、こんなこともあろうかと、薬の雑誌を6冊持っていっていた。これは正解だった。テレビに飽きては雑誌を広げ、夜目が覚めると雑誌を広げ、結局4冊読んだ。毎日忙しくて読む時間などないからこれは快挙だった。
 初めての入院体験で少しだけ学べた。多くを学べたといいたいが、おこがましくてそんなことは言えない。僕の両親を含めて大切な人を見舞ったり、薬局にやってくる人たちの入院体験などを聞いていても、なんら実感として捉えることはできなかった。「入院の孤独」の本のひとかけらを経験できた。口に出すのもはばかれる位の経験だが、これで少しだけ共感することができるようになった。そして入院などしなくてすむように、頼ってくださる人たちの役に立てるよう力を尽くすことの必要性を実感した。大きなことはできないが、やはり縁ができた人たちの健康に寄与しなければならないと思った。
 もうひとつついでに感じたこと。たった24時間の入院生活でもこんなにストレスを感じたのに、これが刑務所だったらどうだろう。何十年も狭い部屋に閉じ込められることに人は耐えれるのだろうか。一時の激情で罪を犯してしまうのだろうが、その後の孤独を思えばそんな激情など小さい、小さい。ゆめゆめ罪は犯さないように、加担しないように。自由ほどすばらしいものはない。