劣化

 シンフォニーホールの一番高い観客席と言えば、3階の一番後ろの席。舞台を谷底のごとく見下ろすような位置にある。もちろん顔などはっきりとは見えない。ただそれが第九の演奏会だから顔が見えようが見えまいが関係ない。いつものように感動をひたすらいただいて帰った。ただ今回山頂だったせいでひとつ気がついたことがある。それは管楽器が意外と少ないということだ。弦楽器のおそらく4分の一くらいの割合だったと思う。何を思ったか僕は数えたのだ。弦楽器は40人くらいいたと思うが、管楽器は10人くらいだった。もっともこれもはっきりとは見えなかったので誤差は当然あるが。まあ、毎年何らかの発見があるから、少しは耳も肥えてくれないかなと期待している。
 演奏とは直接関係ないのだが去年と同じことが、また今年も起こってしまった。例によってベトナム人のチケットも5枚用意していたのだが、待ち合わせ場所に行ってみると3人しか来ていない。通訳にたずねると、昨晩なべを食べてあたったそうで一人がダウンしているらしい。一人は元気らしいが、ダウンしている女性と仲がよくて一人では来たくないそうだ。20数人の寮生がいるのにどんな理屈かよくわからないから不愉快だった。そして輪をかけて不愉快だったのは、そのことを教えてくれたら妻や玉野の教会のベトナム人を誘うこともできていたのに、間際になるまで連絡してこなかったことだ。寮は我が家の隣地だから朝、戸を叩いてくれさえすれば簡単に代理は見つかる。第九を聴きたい人はいくらでもいるのに。
 僕はチケット代が惜しいのではない。考えが及ばないことが残念なのだ。いとも簡単に自分の都合を優先する最近の来日者の気質が度々僕を失望させる。今回もコンサートが終わった後親指を高く上げて感動の気持ちを表してくれた来日早々の3人のしぐさで僕の気持ちは辛うじて救われたが、しばしば繰り返される行為に、この10数年のベトナム人の質の劣化を心配する。