紙一重

 これぞ戦前の日本女性の手本のよう。と言って、僕は戦争を肯定しているわけではない。当時生きた人たちの戦争とは別の理由による人となりをうかがえるエピソードだ。
 ある女性が家族とやってきて最後に自分の症状を話し始めた。圧迫骨折後の回復が思うように行かず、大腿部の深部がなんともいえぬ痛みに襲われるらしい。痛み止めを飲んで何とかしのいでいるらしいが、漢方薬で何とか楽になりたいという要望だった。
 その痛みの原因を探っているときに女性が詳しく教えてくれた。何でも20リットル以上の水が入った容器を持ち上げたらしいのだ。その時にボキッと言う大きな音がしたらしい。「先生、本当に骨が折れたらボキッと言うんすわ」とその時を思い出したのか痛そうな顔をして教えてくれた。80歳を十分すぎた女性が、果たして20リットルの水を持ち上げるだろうか。聞けば背骨を一度疲労骨折している。経験者がそんな無謀なことをするのだろうか。なんでも日照り続きだった頃、畑の作物に水をやろうとしたそうだ。そしてその水遣りにも家での決まりがあって、亡くなった姑さんがしていたようにしたそうだ。僕ら素人に言わせば、何を縛られているのだろうと思うが、姑さんのルールを踏襲したらしい。それが完全に裏目に出て、さぞ痛かっただろうと思うが、その女性は、その後も畑仕事をしたらしい。
 先祖の風習を尊んだこと。若い者に迷惑をかけたくないから、自分でやろうとしたこと。戦前の女性なら当然持っている気概だ。話を聞いていて、やはり80歳を過ぎてもリポビタンの50本入りを持ち運んだ母を思い出した。老いてもまだ息子の役に立とうとする姿は、心配だったけれどいとおしかった。母は幸い、武勇伝の主人公にはならなかったが今思えば紙一重だった。