悲鳴

 ひょっとしたら、僕の薬剤師人生で今が一番よく働いているかもしれない。別に目指したわけでもないが、この歳になっても薬剤師として生かされていることが理由だと思う。
 毎日のようにセールスが新発売の薬を売り込みに来る調剤業務と違って、漢方薬に新商品はない。何百年も前に完成した処方だから、よほどのことがない限り新しいものは出てこない。だから基本的には「頭が付いていかない」状態でもやっていけるのだ。30年以上漢方薬を扱っていると、いやでも薬の特徴は分かってくる。おまけに、延べにしたらどのくらいの数の人に飲んでもらったか分からないくらいの膨大な経験で、知識が知恵に変る。否が応でも漢方薬が年齢に比例して効きやすくなるのだ。
 1ヶ月前にスタッフの一人が帰国し、今日復帰した。その間彼女にやってもらっていた仕事を僕が代わってやっていた。そのために結構時間を取られ、体力を取られてその付けが最近とみに現れていた。力仕事も結構含まれていたので、立ちっ放しの時間が増えたのと重なって、背中の筋肉が悲鳴を上げている。痩せた筋肉が懸命に背骨を支えている感覚がもろ伝わってくる。立って仕事をするのが辛いのだ。そのために1時間くらい薬を作ったら、2階に上がり柔軟体操をするということを繰り返した。そうしないと持たないのだ。鉛をぶち込まれたような筋肉痛から逃れられない。明らかに働く時間が長すぎた。
 今日仕事に復帰してもらえたので。ある程度楽だった。この差を背負った1ヶ月の間に体は徐々に歪みついに悲鳴を上げたのだろう。情けないと自分でも思うが、これが現実だ。気持ちはあっても体は正直に悲鳴を上げる。いつまでこんなことが出来るのかと時に不安に襲われるが、調剤に忙しい若夫婦を見ていたら漢方薬まで押し付けられない。縁あって漢方の勉強に来ていた女性薬剤師は、それこそ縁があって勉強をやめた。いつまでできるの?が、いつまでやらなければならないの?に変ってきそうで恐ろしいのだ。その理由が心ではないことは確かだから。