設計図

 人間の内臓の設計図は110歳、骨格は50歳までと聞いた事がある。となればあちこちが痛いというのは当たり前で、特に縦の圧力にはとても弱くなる。物を持ったりするのはもちろんだが、久しぶりなどといわれて肩を叩かれるのも響く。こんな人は多いのではないか。僕はその際たるもので、筋肉の落ちように我ながら恐ろしくなる。
 ところがかの大分県のヒーローを見ていると、一回りくらい僕より年上のはずなのに、見るからに強そうだ。ボランティアで日に焼けて特に強そうに見えるが、広島の災害現場でスコップを握り渇いた土砂をスコップですくっている姿を見ると、設計ミスではないかと思ってしまう。50歳までで機能を失ってしまうのに、あの年齢でまだ故障がうかがわれない。鍛錬の賜物か、選ばれて与えられたものか分からないが、人様のお役に立てれるものを確かに授かっている。心と体に。
 「ワシらが行ったら迷惑になる。ワシらが担架で運ばれるわ」があの水害の後の挨拶代わりだったが、僕も含めてその言葉を吐いた人たちは気恥ずかしくなっているのではないか。何も準備してこなかった人たちの口からしか出ない言葉だからだ。あのヒーローは、準備万端、自分の体調さえ常に鍛えて準備しているのだ。
 汚物を見せられるような政治やスポーツの世界とのあまりにもかけ離れた輝きを見せるのが、少年時代極度の貧困の内に育った少年だったとは。「地主金持ちはわがまま者で、役人なんぞは威張るもの、こんな浮世に生まれてきたが、わが身の不運と諦める」・・・・・・・・・・彼は諦めなかったのだろう。