失敗

 最近は毎月のように瀬戸大橋を渡っているが、30周年記念などと言う文字を多く目にするようになって、もう30年も経っているのかと考えさせられる。と言うのは、僕の家は同じ頃建てたのだが、あちこちでもう傷み始めている。ひずみが出てきていて、戸がちゃんと閉まらないところがある。ひょっとしたらこの橋も30年も経てば少しは傷みやひずみも出てきているのではないかと考えてしまう。規模が違うとしても、そして科学の粋を集めたとしても、経時的な劣化を免れるものはない。だとしたら・・・・・・・・と言うようなことが実際にイタリアで起こった。
 高さが50メートルと言うから瀬戸大橋よりは低い。だけど相当の高さの橋だ。それが200メートルにわたって落ちたというのだから、落ちた人の恐怖は想像できない。報道によると「2009年に管理会社が橋の解体を検討したほか、16年には専門家が架け替えの必要性を指摘したが、継続使用されてきた。」らしいのだ。この国で日常目にする多くの構造物は、結構僕が子供の時から変っていないものが多い。となると半世紀にわたって使われているものなどこの国には無数にあるのではないか。いつ何時劣化が極まって破綻するかもしれないものに囲まれた僕らは生活しているのだ。水道管の破裂が後を絶たない現代、ほかにも同じ運命をたどる危険があるるものが溢れているはずだ。新しいものを作って金儲けをする奴らにアホノミクスは支えられているから、こうした儲からないところには手を尽くさない。アホさ加減は顔だけにしてもらって、早く国民の身の安全を優先する人間に変るべきだ。自分の別荘はもう用意されている。国民の金を馬鹿友に融通した罪で入る別荘が用意されている。
 自分の肩書きを失いたくないためだけに、外国に金を配りまくってういるアイツにこの国など守れるわけもないし、守る気等さらさらないだろう。イタリアと同じ失敗をこの国では見たくない。