苦行

 「ありがたいことです」と小さな声で独り言を言うのが聞こえた。そう思ってくれることは僕にとっても「ありがたいことです」
 僕は5年間音沙汰がない人はカルテを廃棄する。この女性も廃棄しているから5年い以上薬局に来なかった事になる。以前は隣町から、しばしばご主人に連れてきてもらっていた。丁度更年期に当たる頃だったと思う。よく働く女性だったと記憶している。
 この2ヶ月前から再び訪ねて来てくれるようになった。ところがかつての記憶とは別人のような姿だった。痩せて無表情で、口元がいつも震えていた。主訴が夜間の痛みだったから、それを目的にした漢方薬を作ればいいのだが、本人は口には出さないが僕には鬱症状が一番前面に出ているように感じた。そこでそれは依頼されていないが、痛みの薬と称して2種類漢方薬を作らせてもらった。一つは当然痛みの漢方薬、一つは心身ともに元気にする漢方薬。痛みが激しいから真面目によく飲んだ。今日薬を取りに来た時に、僕は口元が震えていないことに気がついた。そして何よりもかつての女性に近いような表情に戻り、よく笑った。何を思ったのか今日女性がお薬手帳なるものを持ってきた。すると予想通り、精神病薬が3種類出されていた。薬局に来ていなかった期間に何があったのか分からないが、かなりストレスの多い期間を過ごしたのだろう。
 3種類の精神病薬を飲んでいたのに、まるで廃人のようだった。あのままずっと飲み続けていたのだろうか。恐らくその薬が原因の副作用をとめる薬も出されていて、8種類の薬を飲んでいた。「歯がゆいでしょう」といつか尋ねたことがある。「歯がゆいです。何でこんなになったんでしょうか」と答える姿が哀れだった。超プロの人たちの治療を素人の僕が批判は出来ないが、時には、いや意外と多くこのようにお役に立てれることを経験する。
 こんな僕に「ありがたい」と言わざるを得ないほどの苦痛を人生の最終章で受ける。最期まで幸せでおれる事などよほど幸せな人以外はないと思ったほうがいい。苦行のような1日が終りほっとしている人、苦行のような1日を恨んでいる人、顔には出さないだけで、口にも出さないだけで巷には溢れているはずだ。、