騒音

 宮沢賢治なら、あの音をどう表現するのだろう。少なくとも僕にはバク、バク、バクと聞こえた。それもとてつもなく大きな音で、空気が振動して家の窓ガラスを揺らした。妻は地震と言い、僕はダンプカーが隊列をなして家の前を通過しているのかと思った。ただ何となく空のほうから聞こえてくるように思えたから慌てて外に出てみると、ほとんど真上を北上する2機のヘリコプターが見えた。ただそれは普通目にする機会が多い新聞社の取材などで使われるものではなく、もっと大きくて長かった。そしてねずみ色をしていたから自衛隊のものではなかったか。
 こんな音がもし一日何回もしたら耐えられない。2機であのくらいだからもっと隊列を組んで飛ばれたり、オスプレイのようにもっと巨大になったりしたらもう住んでおれないだろう。日本中にどれくらい飛行機の騒音で悩んでいる基地の町があるのかしらないが、これはかなり気の毒だ。国から金は下りるし、経済効果もあるのだろうが、僕ならどちらも期待せずに静かな町で精一杯仕事を頑張る。家を飛び出し、騒音の元が何か確かめなければならないようなストレスを、他の何にも換えたくはない。体と心に進入してくる怪しげなものに命を縮めさせる寛容さは持っていない。
 アホノミクスやその手下どもに、あの騒音の下で暮らさせてみればいい。1日であの持病が再発するだろう。自分に降りかかるストレスにはめっぽう弱いのだから。