商圏

 いつか久しぶりに訪ねてきた厚生に精通している県会議員に「先生の薬局が潰れないのは、岡山県の七不思議の一つです」と言われたことがある。人口が数千人の町で病院の門前薬局もしていないのに、まるで化石のような昔ながらの薬局が存続しているから不思議なのだろう。
 昨日来たある漢方の会社のセールスも内心は同じような感想を持っているのかもしれない。ただ、実際に仕入れている漢方薬の額を彼は把握しているから、うちが潰れない事は分かっていると思う。彼は県会議員と違って、興味本位ではなく、僕の薬局が潰れない理由を知りたがっている。と言うのは、全国でもいわゆる漢方薬局と言うものが結構なスピードで潰れていっているのだ。逆に新規で開業する若い薬剤師はいない。となると、会社の業績に直結する由々しきことが起こっているのだ。会社によっては海外に活路を求めることもあるだろうが、僕が仕入れている会社(台湾の漢方薬を扱う会社)はそんなに大きくないから、そんな器用なことは出来ない。何とか既存の薬局に頑張ってもらうしかないのだ。
 僕が帰ってきたときのおよそ半分に牛窓の人口は減ったが、そのスピードに勝るとも劣らぬスピードで薬局も潰れて行っている。だから薬局が潰れるたびに、僕の薬局の商圏が広がっていったのだ。外から見たらどうしてこんな田舎に薬局があるのかと思うだろうが、少しずつ広がっていった商圏は、実は岡山市で営んでいる薬局より広いかもしれない。憧れの岡山市に薬局を移していても、これだけの商圏は出来ていなかったと思う。それと、立地に胡坐をかくことが出来なかった屈辱からのあの努力もなかったと思う。
 海と山があり、漁師と百姓がいて、人がどう生かされているか身をもって感じることができる町で生まれ育った幸運を捨てないで、薬局人生を全うしたいと思っていたが、それが叶ったのは、近隣の薬局が次々に廃業して、僕の一番の弱点だった「過疎の町の薬局」を払拭してくれたおかげだ。交通網が整備されたおかげで、今では両隣の兵庫県広島県からも直接来てくれる。もっとも、インターネットの発達で、商圏がなくなったとも言えるが、肌で感じる商圏は明らかに広がった。
 牛窓に帰ってから「物売り」に行き詰まり悩んだ時期もあったが、その時に漢方薬の師匠に逢えたことで父が免許を貰っていた薬局製剤と言う薬局のオリジナルの薬を作る権利が生かされた。多売を前提に作られているメーカーの漢方薬と違い、一つ一つ生薬を量って作る作業は全く非効率だが、作ると言う作業こそが飲んでくれる人との連帯を産む。緊張を強いられた現代人のトラブルは緩んでこそ治る。僕は田舎の薬局らしく、泥臭く患者さんと向き合う。いや、魚臭く?水臭く?
いつまでこの仕事が出来るかわからないが、小さくても何処にもない薬局は作れたかな?