距離感

 もう1度高村薫さんの文章から。
 「かつて人は、生身の人間同士が例えば50cmの距離で向き合ったときの居心地の悪さ、摩擦の中で共同体を営んできた。社会はこうした人間同士の摩擦、身体性によって築かれていた。身体性があるからこそ、殴れば相手も自分も痛いし、ここまでやったら死ぬな、と言う感覚も生まれる。ところが、ネット社会の拡大で、現実と仮想の境がなくなり、この身体性が失われた」
 もう随分前だと思う、10年?20年?何で読んだのか忘れたが、他人との接近で不快に思う距離は欧米人は日本人に比べて長かったことを記憶している。だから気をつけろというような文章だったが、その時の日本人が居心地が悪くない距離が1mくらいだったと思う。それからすると高村さんの文章が現実的だとすると日本人の多くはストレスが一杯の状態で暮らしていることになる。特に都会の人など、朝夕の通勤時には「許されざる、耐えがたき」距離感の中で暮らしていることになる。どうりで電車や構内で色々な事件が起こるのも頷ける。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでいるのが都会で生活している人たちだとすると、色々な心地よくない出来事が日常にあふれているのもよく分かる。よほど教養や忍耐や理性を積んだ人でないと全うには暮らすことが出来ないのだろう。そうしてみると、加害者もまた被害者か。
 繁殖を目的に狭くて汚い小屋に何十匹も詰め込まれ、餌や水も満足に与えられなくてやせ衰えている犬たちと何となく重なって見えてしまう。