高村薫

 僕は高村薫さんの小説を一冊も買って読んだ事がないから彼女にとっては何の役にも立たないファンだ。只、今ファンと言う言葉を使ったように尊敬をしているし、エッセイやインタビューなどは見つけると必ず目を通す。僕ら素人とは段違いの感受性で本質に迫ってくれるから、今生きている時代を確認するには信頼できる人だ。
 今日毎日新聞が、平成の時代に起こった事件を特集していた。その中で高村薫さんの寄稿があった。本来ならあまり興味を引く特集ではなかったのだが、高村さんの写真を見つけて熟読した。今まで漠然とは気がついていたが、こうして言葉で表現されると、僕の頭のレベルでも理解できる。そしてその文章は多くの人に読んで貰うべき物だと思った。だから最もよくまとめられている部分を引用して皆さんに届けたいと思う。

・・・・・・・・・経済が右肩上がりの社会では誰でも自分の居場をが見つけられた。それなりの仕事に就き、それなりに結婚してマイホームも建てられた。だが、平成に入って日本の近代以降初めて成長の終りを経験し、格差が広がる中で、国民の多くが明るい未来をもてなくなった。大人の閉塞感は子供の閉塞間につながった。・・・・・・・・・・・・・・一気に拡大したネット社会では、個人の欲望は際限なく拡大した。そこでは誰もがあらゆる情報を手に出来る。誰とでもつながることが出来、好きに意見が言える。SNSなど抑えこんで来た劣等感や不満を和らげるツールは沢山あり、簡単に現実から仮想現実に逃げ込める。ゲームの中ではどんな子供も全能感を味わい、英雄にだってなれる。・・・・・・・・・・・そこでおきたことは地球規模、人類規模での「身体性の喪失」だ。かつては人は、生き身の人間同士が例えば50cmの距離で向き合ったときの居心地の悪さ、摩擦の中で共同体を営んできた。社会はこうした人間同士の摩擦、身体性によって築かれていた。・・・・・・・・・・