専門家

アジサイさんが、水を欲しがっているよ~」と、まるで唄を歌うようにして入ってきた。暑くて入り口のドアを開けていたし、丁度僕は相談机で書き物をしていたからその声がよく聞こえた。声の主はすぐに分かった。僕が幼い頃、お手伝いさんとして住み込みで働いていた女性で、我が家の全員がいまだ姉のように慕っている女性だ。どの親類よりも負けないくらい関係は深く、いまだ我が家は世話になっている。
 その女性はその後農家に嫁いで、家同志の付き合いをしているのだが、根っからの働き者だから、その道でも成功している。そんなプロだから、入り口の鉢に咲いているアジサイの花の元気のなさをすぐに見抜いて、やんわりと助言してくれたのだと思う。そもそも僕など1日の内に何度もその前を通るのに、アジサイの存在さえ気がついていなかった。そんな人間だから花が水を欲しがっているかどうかなどわかるはずがない。
 僕はその時に、いわゆる専門家の力と言うものを感じた。彼女の場合は農業に従事する人の力だ。農業に限らず社会は多くの専門家によって支えられている。専門家と言うと何か高尚か印象があるが、ほとんどの人は専門家だ。多くの職業が専門家で成り立っている。長いこと生きていると、巷の専門家に大いに助けられた。名もなき肩書きもなき多くの専門家に助けられた。