人格破壊

 英国・イースト・アングリア大学のKathryn Richardson氏らによる症例対照研究の結果、うつ病、泌尿器系およびパーキンソン病の治療に用いられる抗コリン薬の使用が、将来的な認知症発症と強く関連していることが明らかとなった。この関連は、認知症と診断される15~20年前の曝露でさえ観察されたという。ただし、消化器および心血管系の抗コリン薬では認知症との明らかな関連は認められなかった。

 もうほとんど決着したかな。僕が若い頃から僕らの間ではこれに似たようなことを言っていた。所詮薬剤師が吠えても仕方ないが、本能的に感じていたことが、今医学の世界で科学的に、統計的に証明されるようになった。当時正論を吐いていた人たちは今はどう言うのだろう。政治の世界でも、疫人の世界でも、まして企業の世界など金金金だから、もっともらしい理屈や権威で押し通す。金で買った権威より、ど素人のほうが正しいことはよくある。心が汚れていないから物事の本質を見ることが出来るのだろう。本質を見ないことで金や名誉を買う奴らとは違う。
 人工呼吸器で機械的に息をさされながら、いつ死んだのか分からないような亡くなり方を父で経験し、虚空に目をやり意味不明の言葉を吐く母を数年間見続けた挙句失くし、どのような最期がいいのか、今は分からない。かつては認知症は全ての思考を停止するから、これほど楽な亡くなり方はないと肯定する意見もあったが、人格まで破壊された最後はやはり嫌だ。恐らくそれが強烈な印象となって、その人の人生の全てを代表するだろう。かつての美貌や知性や礼節は、全て忘却の彼方で評価の対象とはならない。
 安易に飲まされる薬で、人格破壊では何のための治療だろう。企業の利益のために薬剤の廃棄物処理場に自分の体を提供しないことだ。