尻尾

 「明日もまた 生きてやるぞと 米を研ぐ」有名な俳人の句ではない。引き取り手のない人が死んだ家を片付ける業者が、散らかった部屋で見つけた冷蔵庫に張られた紙切れだ。家族に遺品を渡そうとしたが、家族はもう縁を切ったと受け取らなかったそうだ。ただ、部屋で見つかった160万円ほどの現金は当然受け取ったらしいが。
 孤独の中で懸命に生きたのだろうが、60歳代で命が尽きたのは無念だっただろう。かつて家族に迷惑をかけたと悔いていたらしいが、そして子供からは縁を切られていたらしいが、子を思う親の気持ちは変らなかったろう。 社会から孤立し、家族から見捨てられ「明日も生きてやる」と言うモチベーションは何だったのだろう。何のために明日も生きなければならなかったのだろう。カップラーメンなどのゴミが散乱した部屋だったというから、生活ぶりは想像がつく。しかし、そんな中で生きてやるという強い生への欲望が強いのは何故だろう。
 僕より少し上の人だから丁度段階の世代ど真ん中の人かもしれない。だから高度成長の恩恵を受けている世代で、絶望が苦手なのかもしれから、身の回りの状況が悪化したときにも又頑張れるのだろうか。ただ、それが何かをなすというものではなくただ生きることがテーマになっているところが哀れだ。生きればいいというわけではない。何をどのようにするために生きるという強い目的や理由が必要だ。この方は米を研ぎながら、幸せの尻尾でも見えていたのだろうか。