目標

 関東に住む女性が、だいぶ体調が良くなったので漢方薬はどうすればいいのでしょうという質問をしてきた。恐らく、漢方薬はゆっくり効いて、いつまでも飲み続けるという常識を耳にしていたのだと思う。それでも、体調がよくなっても飲み続けなければなたないのかと言う素朴な疑問を抱いたのだと思う。ところが僕の答えは彼女が想定していたものとは大きく異なっていたのか、一瞬飲み込めなかったみたいで間が開いた。
 それはそうだろう、僕が答えたのは「へしゃあええが、やめりゃあええが」なのだから驚いたのかもしれない。ただ驚いたのは僕の岡山弁ではない。「減らせばいいでしょう、止めればいいでしょう」と上品に答えたら臨場感が伝わらない。調子がよくなれば、1日3回飲んでいたものを2回にし、それでも調子がよくなれば1回にすればいい。それでも尚調子がよければ完全に止めればいい。そう伝えたかったのだ。
 僕はあるとき気がついた。漢方を勉強し、少しばかりお役に立てれるようになってからだと思うが「薬は止める為に飲み始める」と。僕自身は勿論だが、誰も敢えて薬など飲みたくない。出来れば自然に暮らしたい。石油から出来ているような現代薬は勿論、漢方薬でも飲まなくてすむのが理想だ。だったら目的を達成したら止めればいいではないか。飲むのが大儀になれば減らせばいいではないか。それが自然だ。製薬会社を儲けさせるために、わが身を医薬品の最終処分場に提供する必要はない。
 今日の女性ももうすぐ完治を迎えることが出来るだろう。治らないとあきらめていたようなものが完治に近づく。やる気と能力がある人みたいだから、長い人生どれだけの人の役に立てるだろう。それこそが生きがいだ。今日の不調より、ずっと先の目標に若者は目を向けて。