上手

 テーブルの上においていためがねをかけて驚いた。よく見えるのだ。見え方を意識するようなことは滅多にないが、明らかに物がよく見えた。そう言えば、小さい字を読むためにテーブルの上にめがねをおいていたのだが、傍にいたかの国の女性のひとりが僕のめがねをかけて気持ち悪そうな顔をしたところまでは覚えている。僕は日本語が分からない彼女たちの代りに懸命に小さい字を追っていたのだが、傍で何をやっていたかはわからないくらい集中していた。
 明らかに違う見え方に、めがねを外してレンズを見てみると、正に透明のまるで新品のようなレンズがあった。いつもなら埃かフケか分からないようなものが一杯ついているのだが、そんなものは一切なかった。レンズをしげしげと眺める僕に隣の女性が、丸めたティシュを見せた。そう、彼女が僕がめがねを外している間に綺麗にしていてくれたのだ。さりげなく?、何気なく?僕には分からない。彼女達にとっては、至極当たり前の行動だったのかもしれない。或いは滅茶苦茶意図的なものだったかもしれない。ただ、もう10年くらいで100人近くのかの国の女性達を見てきたから、それが意図的だとは思えない。当然向こうでやってたことを何気なくしたまでのことなのだ。20万人以上が押し寄せてきて、良くない話が多い中で、選ばれて来た人たちの質の高さはよく分かる。経済的には恵まれていない、学歴はない、ただひたすらに労働力としての評価しかない彼女達だが、僕は彼女達の人格を見続けてきた。ほんの些細な僕の親切に、何十倍の優しさで帰してくれる。田舎から地方都市に出てきて、そして日本に来た女性達は、随分と素朴だ。2年間、同居させ、専門学校の学費まで出してあげた在日歴の長い「学生」などよりはるかに気持ちの良い心を残している。ただひたすらに家族のことを思い日本にやってきている人のほうを僕は信じるし大切にしたい。「〇〇さん、毎日楽しい?どこか皆で出かけようか?」と誘ったら、「おとうさんと、おかあさんにお金上げるために日本に来た。私頑張る」と答えた。日本人でこのような答えをする人が今の世にいるのだろうか。
 明日又その中の3人が帰国する。何度別れを経験しても、別れ上手にはなれない。