散乱

 最近僕は中国の方と相性がいい。どちらも日本人と結婚している女性だからだろうか。言葉はどちらも旨い。一人は電話だけだったが、もう一人は直接対面した。御主人の漢方相談についてきたのだが、穏やかな顔つきだが物怖じしなくて、冗談も言え、何よりも明るかった。
 その女性は御主人が相談している間、薬局の中を見ていたのだろう、帰るときに「こちらの薬局は、何処を見ても綺麗ですね」と言ってくれた。何処を見てもと言うのが引っかかるが、くまなく見たのだろうかと少し恥ずかしくなる。どの程度の美的感覚を持っている人かわからないが、そしてどのレベルと比べて言ってくれたのか分からないが、少しは嬉しかった。
 勿論その評価に僕は全く貢献していない。むしろその分野でも大いに足を引っ張っている。僕の机の上は、いつも何かが散乱していて、娘夫婦が通るたびに片付けてくれる。いやくれるという表現は正しくない。片付けると言ったほうがいい。何故なら僕はそれを望んではいないからだ。散乱しているのはほとんどが、新しい相談者のメモなのだ。順番に落ち度なく返事をしたいから、僕のルールで「散乱」させているだけなのだ。あの散乱から、返事をし忘れがほとんどなくなった。僕のところは、少しばかり気持ちが落ちた人の相談が多いから、返事が来ないなどは許されない。繊細な方が多いから、傷つけてしまうことも考えられる。だから僕はその点ではかなり神経を使って「散乱」させているのだ。ただ、それは娘夫婦には分かってもらえない。
 確かに娘夫婦が帰ってきてから薬局はきれいになった。カフェのようと言ってくれる人もあるが、目指しているのは勿論「薬局のよう」なのだ。少しばかり心地よくなってくれれば薬も効きやすい。アクセルを踏むことばかり強いられる現代では、漢方薬で脱力してもらうようにと、思いを込めて作ることが多いが、それに薬局のつくりが貢献してくれるなら有り難い。そして多くの人が少しばかり「気持ちが楽」になって帰ってくれれば嬉しい。そのためには僕の机の上と、中国人が褒めてくれた薬局の中の光景の共存が望ましい。