土筆

 幼い時、かなり田舎の母の実家に預けられていたから春には土筆を摘むのが常だった。それを祖母やおばが煮付けにしてくれた。不思議な食感だったが結構美味しかった。戦後10数年しか経っていなかったから、まだまだ質素な生活だったが、豊かでもあった。野で摘んだものがそのまま食卓に上るのだから、自然の命を「いただきます」が無意識の内に学べたのではないかと思う。
 土筆の最後の想い出は、子供達を連れて母の実家の祖保母の墓参りに行った時に、墓の近くの田んぼに土筆が一杯生えている事を知って、お弁当を持って行き、ピクニックもどきを楽しんだことだ。だからもう30年位前のことになる。そこから今日まで土筆を見ていない。ところが今朝その土筆を一杯目撃した。秋に手に入れた古民家の裏は、あえて一区画だけ砂利を敷き詰めるのをやめて、土のまま残した。そこは元田んぼだから土が肥えていて、かの国の女性たちが耕して何か野菜を植えた。今朝、その畑を興味本位で見に行ったときに、畝にいっぱい土筆が生えているのを見つけた。最初は目を疑ったが、それを追っていくと、一段高くなって荒れ放題だったところを草刈してもらったのだが、その元畑と言えるところにも一杯土筆が生えていた。恐らく誰にも摘まれることなく何年も命をつないできたのだと思う。土筆達にとっては安全な場所だったのかもしれない。新たな持ち主が綺麗好きだから彼らには迷惑だ。
 今日は摘めなかったが、明朝、摘みに行こうと思う。大切なものを失うことが続いたから柄にもなくセンチメンタルになってしまう。前と言うより今日しか見ずに黙々と働いてきたが、消えないで残っていてくれた想い出もある。