さっき、階段を下りるときに、無意識にいつものように柵を拡げ鍵をかけた。このところ必ずしなければならなかった動作だから身についている。耳が全く聞こえなくなり、目も白内障でかなり視力を失っていたから、夜などは特に危険で、階段から落ちでもしたら大変だから、必ずと言うくらい鍵をかけていた。ところが今日、その必要が無くなった。
 かの国の女性4人を連れて四国観光の新しいコースを開拓していた。そのことは後日書くこととして今日は急遽モコが亡くなったことを書く。犬に興味がない方にとっては擬人化した書き方をすることが耐え難いかもしれないが、僕たち家族にとっては、もうほとんど人間の赤ちゃんに近い存在だったから擬人化を許して欲しい。
 6時半ごろ帰って来たから11時間近い行程をこなしたことになる。帰宅すると階段の上から妻が「お帰り」と言った。その後すぐに「モコが無事帰るように守ってくれたんだわ」と言った。こういった言い方はクリスチャンの妻には珍しいことではない。僕もいつもの挨拶と思って台所に入っていった。すると小さなフトンにモコが横たわっていた。ピンクの布団がかけられていた。いつものようにかわいい顔をしているなと思ったが、枕元に妻が焼いたケーキと小さな花瓶に入った花が置かれていた。数秒間が空いたと思う。本当に分からなかったのだ。ところがさすがの僕でもその時間があれば思いつく。後は恐らく叫び、いや驚きの声と自分の心を落ち着かせるために都合の良い解釈が交互に押し寄せてきた。老犬と分かっていながら外見と気性の明るさからいつまでも幼子のように勘違いしていたせいで、いざ亡くなれば悲しみがあふれ出す。まさか犬が死んだくらいで涙を流すことはないと思っていたが、かなり長い間、涙が止まらなかった。
 息子が飼えなくなってから10年以上、毎日一緒に暮らし、特に夜は必ず僕の蒲団に潜り込んでくるから、そして必ず体のどこかをくっつけて眠るから、モコの体温を感じない眠りをもう10年以上したことがない。今夜から、冷たい蒲団に包まって眠ることになるが、短い間に2人の大切な家族をなくした。迎えるよりも失うことが圧倒的に増え始めた。こうして、人は徐々に一人ぼっちになっていくのだろうか。それにしても母もモコも見事な最期だった。昨日おとといと何も食べず飲まずで寝たきりだったのが、今朝は歩き、妻が造った料理を食べた。まるで妻に礼を言うように。優しい心を持っていたモコの妻への最後のお礼のように思える。