聖書

 聖書はなかなか難解なところがある。今日の一節も朗読を聞いているだけではわからなかった。「この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」
 この「自分の命を憎む」という意味がわからなかった。自分の命を憎む人っているのだろうか。いたとすれば自死を試みる人たちのことだろうかと、前後の文脈とまるで整合性のない考え方しか出来なかった。前後を通して書くと「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛するものは、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」
 今日、玉野教会には若い黒人の神父様が来られた。その方が朗読された部分の解説をしてくださったので意味がわかった。自分のことだけを慈しむような生き方を否定するものはと言う意味だろう。大きなことをせよという意味ではないが、自分の欲望を抑えて世のため人のために生きれば、精神は永遠の命を頂くという意味だろう。不熱心な信者だからかなり危うい解釈だが、自分にはそう聞こえた。聞こえただけでなく、よりその道に進めと背中を押されたような気がした。
 僕の年齢になると、もう自分が何かをして世のため人のためなどとはおこがましくて言えないし、力も残されていない。ただ、精神は余分なものが削がれて、意外とまともになることもある。若者に、今日を懸命に生きろといっても、嫌になるほど年月が残されている身としてはピンと来ないだろう。ただ僕の世代でそれを言われるとスッと入ってくる。週6日は田舎薬剤師として、日曜日は日本のお父さんとして「自分の命を憎む」