広報

 漢方薬を取りに来た女性が腰をかけるなり「義姉さん、亡くなったんだってなあ」と言った。言いながら東のほうを指差した。一瞬その義姉さんと言う言葉の理解が遅れたが、兄の嫁さんであることが分かり「えぇっ!」と思わず声を上げた。僕の家から数百メートル東で化粧品店を夫婦でやっていたから、確かに指差した方にいるし、慢性病を抱えてもいる。人の命などいつどうなるか分からないから、そういったことがあっても不思議ではない。ただし、血縁関係もないその女性が知っていて何故僕が知らないのだろう。確かに、僕ら兄弟はそんなに仲がいいこともない。いや悪いのではなく、クールなだけだ。それでも、さすがに義姉が亡くなれば兄も教えてくれるだろうとは思う。そこで女性に「奥さん、どうして知っているの?」と尋ねると「広報で見た」と教えてくれた。「牛窓で大和さんはお宅しかないじゃろう。お悔やみ欄の亡くなった人の下に、お兄さんの名前が出ていたよ。亡くなった人の名前が女性だったから、お義姉んしかいないじゃろう」なるほどそういうことか。それは母のことだ。母が亡くなって最初に発行された瀬戸内市の広報だとしたら辻褄が合う。
 「お袋は年末に死んだんですよ。名前は〇〇〇ではなかった?」と尋ねると今度は向こうが驚いていた。牛窓にお嫁に来てからずっとヤマト薬局を利用してくれている人だから50年以上の馴染みだ。当然母もよく知っている。少しうつ傾向のあるその女性は母が死んだことを聞いて泣き出した。こんなときにはまじめに対応してはいけない。痴呆で見舞いに行っても僕が分からなかったことはよく知っているから「〇〇さん、母が最後に言い残していきましたよ。〇〇さんに最後に一目でいいから会いたい」と。
 すると女性は今日初めて笑った。その後も10分くらい取り留めのない話をしただろうか。苦虫をかみ殺したような顔で入ってきたのに、最後には大声で笑うようになった。「来てよかった、来てよかった」と何度も繰り返してくれたが、亡くなった人が誰かはっきりしたのが来てよかったのか、笑えるようになったのが来てよかったのか分からないが、いずれにせよ最後は笑顔、これに勝るものはなし。