会者定離

最近、本当に見るに耐えない番組ばかりだから下手をしたらコマーシャルに逃げたりするが、まあ、NHKのEテレくらいですめば運がいいほうだ。このEテレと言う呼び方自体が好きでないが、教育テレビと呼ばなくなったから仕方ない。呼称を変えたせいではないだろうが、吉本の喜劇役者や漫才師がやたら出てきてうっとうしくて仕方ない。そんな中で、土曜日の昼にやっている番組を時々緊急避難的に見ることがある。心の時代と言う番組かもしれないが、宗教についてよく話している。聴き手は毎回同じ人だがゲストは違う。遅い昼食と何故か時間が合うことが多く、意外と観ている事になる。
 先週のその番組の中で「会者定離」と言う言葉を初めて聞いた。お釈迦様の弟子と、亡くなる前のお釈迦様の話の内容だったが、必ず別れと言うものはあるのだからいたずらに悲しむでないと諭した逸話だった。その時に使われたこの言葉が忘れられなくて、後でインターネットで調べてみたらちゃんと載っていた。僕が知らなかっただけなのだが、仏教では魅力的で綺麗な言葉がしばしば登場する。同じ漢字圏の人間にはよく伝わってくる。
 半年ごとのかの国の女性たちとの別れ、母との別れ、1年半くらい同居したかの国の2人の女性、そして何となくもうすぐ別れがやってくるかもしれないと思わされ始めたモコとの別れ。どれもどれも悲しくて切ないものだが僕は耐えている。あの言葉は知らなかったが、実感としていつも考えていることだから。宗教とは答えの無い疑問に答えるものなのかもしれない。、