居場所

 2週間前に雲辺寺のスキー場を訪ねた時は、山頂の気温はマイナス7度だった。今日は3度だったから丁度10度高かったことになる。この10度は南の国から来た女性たちには都合が良いらしく、前回の女性たちが2時間でスキーに見切りをつけたのに対して、今日の女性たちはほぼその倍くらいを雪の上で過ごした。もっとも、スポーツなどとは縁のない生活をしてきているので、スキーなど出来るわけないし、上達欲も無い。スキーをほんの少し経験すること、そしてそれらしい写真を公開することが彼女達の目的だ。だからスキー場に着き、スキー服に着替えゲレンデに立った時から写真のとりまくりだ。おかげで待ち時間のために勉強道具を持っていっていたのに、写真係になってしまった。しかしそれではあまりにも空しいので1時間くらいでその係りは辞退して、勉強しようとした。ところがその段になって、山麓駅においてきた車の中に読もうとしていた薬の本を忘れてきたことに気がついた。2200円のロープーウェイ代を再び出して本を取りに帰るのももったいないような気がして、前回雪のために足を踏み入れることが出来なかった雲辺寺にお参りしようと考えた。スキー客に混じってお遍路姿の人たちが結構乗り込んでくるのを見ていたから、有名なお寺なのだろうと想像したのだ。
 確かに立派なお寺だった。規模も大きくて、京都などのお寺に引けを取らないのではと思った。おまけに1100メートルを越える頂の上に建っているのだから、それだけでも荘厳だ。言葉を知らないから的外れかもしれないが「山岳信仰」などと言うのもありかと思った。ロープーウェイで7分で山頂まで上れるが、昔の修験者が歩いて上るとなるとどのくらい時間がかかるだろう。
 雲辺寺で珍しかったのは羅漢様の(本当はこの言葉も知らなかった。仏を守る聖人らしい)石像がとても沢山並べられていたことだ。100体ではきかないと思う。そしてそのすべてが力作(失礼な言い方だがそうしか言えない)なのだ。かの国の女性達がスキーを早々に諦め雪と延々と戯れだしてくれたおかげで、静寂が支配し、俗世間とは完全に遮断された空間をしばし堪能した。
 幼子から若者まで、おしゃれなファッションで賑わうゲレンデからわずかしか離れていないのに、すべてが対照的だった。良し悪しは別として、僕の居場所はゲレンデにはなく、まっすぐに天に向かって伸びる杉の巨木に囲まれた鳥も啼かない無音の世界だった。