西脇

 「西脇に行ってきます」このタイミングでそういわれると牛窓の人なら悪い冗談だと思う。妻もそれに気がついたのか「ああ、配達に」と慌てて付け加えた。
 西脇は峠を越えれば海水浴場や漁港が広がる。牛窓でものんびりとした地区だ。畑も肥えていて、いわば半農半漁の地区だ。牛窓から西脇に行くために越える峠を少しだけ逸れたところに火葬場がある。この辺りでは「焼き場」とも言う。そしてこの辺りしか通用しない言葉として「西脇」がある。いわばこの辺りでは西脇は火葬場のことを表す隠語なのだ。だから会話の中にも結構出てきて、医師も使うことがある。よく使う医師の口癖が「西脇に行かんと治らん」だ。逆に患者さんも自虐的に使うこともある。「西脇に行かんと治らんわ」と。病気だけでなく、人の悪い性格等も「あの人のくせは西脇に行かんと直らん」などと言ったりする。要は手に負えないときの最後の手段なのだ。それも一番歓迎できない方法だ。
 妻がそう言って出かけようとした寸前まで、実は最近亡くなった方の話を漢方薬を取りに来た人と話していたのだ。亡くなった理由や様子などを結構長い時間話していた。何となく以前と違ってそういった話題にも力が入るようになっていた。参加資格を得たような感じだ。絶妙のタイミングで出た妻の言葉に座布団でも上げたい気分だが、現実味を増してきた存在感にハッとする。