卑怯

 何を言っているのかさっぱり分からない。分厚い資料を数日前にもらっていたが、目を通すことはしなかった。どうせ目を通してもほとんど理解できないのだ。この種のものには相当コンプレックスがある。逆に数字に強い人には尊敬の念を抱いてしまう。
 年に2度、市の国民健康保険についての大枠を決める会議に出席する。諮問会議みたいなものだが、僕はもっとも適さない人間だから替えて欲しいのだが、薬剤師会から必ず一人は出席しなければならないらしくて、何故か僕にお鉢が回ってきている。他の役職をほとんど断っているから仕方ないのだが、出来れば一番に断りたいくらい自分には合っていない。
 辞めさせてくれと言っても市のほうは慣習だからといって取り合ってはもらえない。些細な額だが報酬も出る。そのことが余計僕を憂鬱にさせる。数字の羅列が理解できなくても報酬がなければかまわないが、いくばくかでも税金が使われるとなると心苦しい。分からないと集中力が保てなくて睡魔との闘いになるのは世の常だが、御他聞に漏れず今日も僕は慣れない数字ではなく、睡魔と闘ってきた。数字と悪戦苦闘してきたのではなく、春のような日差しの援軍を得た睡魔と闘い、惨敗だった。
 今までは市町村が国民健康保険を運営していたみたいだが、来年度から?県単位になるらしい。そこで、今まで徴収されていた国保料金が上がるとか下がるとか、いや上げるとか下げるとかの話だった。上がる額も、下がる額も大した金額ではなかった。市民のなにやらと、やたら市民感覚を持ち出すが、えらいナイーブだなと思った。実際にどのくらい市民のことを思っているのか分からないが、選挙目当てである程度の配慮が必要になるのだろう。
 田舎の市の学芸会のような会議と国のそれとを比べることは出来ないかもしれないが、原発などの大きな話題でも僕みたいなどうでもいい人間が集まっていて、疫人の書いた下書きを追随するだけの存在って多いのではないか。疫人に勝てるものか。朝から晩までかかりきりになっている人たちに知識で勝てるわけがない。正直、田舎の人材不足の象徴のような役職から解放されたい。存在理由も無いまま居続けれるあの「佐川」ほど、卑屈で貪欲で卑怯ではないから。