民宿

 何でそんなことになったのか覚えていないが、儀式嫌いの僕が嘗て一度だけ仲人をしたことがある。相手方のおうちが神戸にあり、婿の父親と神戸の家を訪ねた。いわゆる結納だったと思う。その家で出された料理の魚が何とまずかったことか。覚えているのはそのことだけだ。確か30歳代だったと思う。およそ今迄であんなにまずい魚を食べたことはない。それと逆のことが今夜あった。
 母の49日のために兄弟姉妹が集まった。牛窓にある民宿だ。牛窓には民宿が沢山あるが、僕は今まで民宿に行ったことがなかった。今日利用した民宿は牛窓では一二位を争う規模のところだ。後で妻に尋ねて驚いたのだが、1人頭6000円だった。僕がお世話している漢方の研究会で毎年7000円の新年会を岡山のホテルでするが、それに比べて何と美味しくてボリュームがあることか。どちらの値段設定が正しいのか分からないが、内容と金額は圧倒的に牛窓の民宿が勝っている。牛窓の民宿が正しいのなら、岡山のホテルの料理は4000円くらいにすべきだし、岡山のホテルが正しいのなら、牛窓の民宿は1万円にしたほうがいい。
 千葉と横浜に住む姉たちが、元々牛窓に住んでいて牛窓の魚を毎日のように食べさされて大きくなっているはずなのに、「美味しい」を連発する。牛窓を離れて40年、50年の2人には、久しぶりの牛窓の魚がよほど美味しかったのだろう。それはそうだろう、民宿の社長が今日釣った魚だったのだから。さっきまで海を泳いでいたのだから美味しいに決まっている。牛窓の瀬戸の流れが急で、そこで釣れる魚の筋肉はしまっている。それが美味しさの理由らしい。
 料理が運ばれてくるたびに姉たちが質問するものだから、魚が何処で、野菜はここで、果物は何処でと採れた場所を教えてくれるのだが、ほとんどが地元と言うより、自分の畑のものだった。牛窓で暮らす僕には珍しくもなんともないが、都会に暮らす姉達にはどれも新鮮に映るのだろう。僕なんかうがった見方をするから、自分の畑で採れたものばかりだったら原材料は滅茶苦茶安いじゃないの!と思ったが、それこそが売りで、新鮮で安いものを提供できるからあの値段でこれだけ美味しかったのだろうと納得した。僕ら兄弟姉妹の年齢では、もう少しで食べられる限界を超えそうなくらい量もあった。
 申し訳程度に母の写真を飾っての食事だったが、もうすぐ僕たちもと思える年齢に皆達しているから、思いは複雑だ。美味しくもあり、美味しくもなし。