国家試験

 同居しているかの国の2人は、今月末に介護福祉士?の国家試験を受ける。2年間専門学校に行き、運がよければ国家資格を得て春から働くことになる。ようやく学生とアルバイトの両立から解放されることになる。
 そもそも2人が来日したのはその理由ではなかった。学生なら再入国することが出来るからと、日本語の専門学校に入学した。しかし、同じ理由で来ている東南アジアの若者達の真の理由は、アルバイトをして金を稼ぐことだった。僕は学生寮と言う名の巣窟みたいなところを訪ねたことがあるが、とても二人を置いておく気にはなれなかった。そこでアパートと、健全なバイト先を探した。多くは深夜の、コンビニ弁当を作るアルバイトに駆り出されていたが、そんな屈辱をあの2人に味わわせることは出来なかった。
 見つけてあげたのが介護のアルバイトだった。まじめな2人だから重宝されて介護の専門学校に行かせてもらえることになった。ところがそのことで恩を売られるようになって、窮屈な日常を送っていた。そこで僕がそれまでに援助してもらっていたお金と、後の授業料などを立て替えてあげたのだが、2人が介護の専門学校に進学した本当の理由も知っていた。それはただただ日本に留まりたかっただけなのだ。
 ところが介護の学校に行くに従って、介護の重要さが少しずつわかってきたみたいで、熱心に勉強するようになった。学校の評価も高くなり、外国人を受け入れてこなかったその学校も受け入れることにしたくらいだ。2人が熱心に勉強を続けて来れた理由は、弱者に対しての優しさに目覚めた訳ではない。日本より50年遅れているという彼女達は気がついたのだ、いつか自分の国も介護が必要な時代が来ると。個性が全く違う2人は、1人は介護の力を身につけようとして懸命だし、1人は経営に興味を持っている。現場と経営の両輪が自然にペアを組んでいる。
 「オトウサン キンチョウシマス」と、折に触れ口に出すようになったが、それは頑張っている証拠でもある。2人がそれぞれのモチベーションで頑張っている。完成されたような国では誰もがあのような大志を抱くことはない。かの国ではまだまだ誰もが大志を抱けるのだ。傍にいると恥ずかしくなるような大志も口から飛び出す。若者の勝手に3年間付き合ってきたが、もうそれも終わる。そして日本人が捨ててきた心模様を隙間見ることもなくなる。かの国の人達がもう同じように捨て始めているから。