煎じ薬分包機

 もうこれで安心。機械の力を借りればこんなに効率が上がるのかと今更ながら認識した。
 以前からこの機械があることは知っていたが、人手だけは一杯あるので必要ないと思っていた。瀬戸内牛民病院の分館が廃止されてから人手をもてあまし気味だったので、煎じ薬を作ることで何とか埋め合わせしていた。煎じ薬を時間があるときにはゆっくりと、時間がないときには寄ってたかって作る。それはそれでよかったのだが、いつまで僕がいるか考えさせられることが12月から今月の頭まで続いたので、決心して高額な機械を入れることにした。そのことを提案すると娘は即答でそうすべきと言った。恐らく同じことを考えていたのだと思う。僕が提案することは最近なかなか通らなくて僕が若夫婦に従っている事がほとんどなのだが、このことはすんなりと決まった。土曜日に6人がかりで設置してくれたのだが、実働は今日からだ。さすがに早くできる。よってたかって作っても、あれだけ早くは作れない。薬剤師3人がかりで作るよりはるかに早い。結局今日は娘夫婦の手を借りずに、全員のを作った。朝から始めて夕方の6時頃までかかったが、マイペースで焦ることなく作れた。今までは3人がかりで焦りに焦って作っていたが、今日は余裕を持って作れた。
 これでハード面は大丈夫。知識の伝承は35年間処方を書きとめてきたからそれを見れば患者さんの多くの相談に対応できるようになっている。薬局製剤の許可をとっている薬局の薬剤師しか作れないものは娘が作り、医者しか処方できない漢方薬は息子が処方箋を切る。医者と薬剤師がそれぞれ特徴のある漢方薬を出せるようになっているところは日本中でも少ないと思う。
 後は、患者さんの訴えを何処まで理解できるかだが、これは機械やノートでは残せない。又マニュアル化などしてはいけない分野だ。どれだけ人生経験をつみ、自己を確立出来たかが重要だ。長い歳月がこれには必要だ。自己研鑽で少しずつ積み重ねるしかない。だからもう僕がいなくなっても何とかなる。今日僕の値段がついた。〇〇〇万円なり。