無意識

 毎年仕事始めのこの日に繰り返す過ちがある。恐らく僕だけでなく多くの人が同じミスをしているだろう。世界規模かもしれない。
 機械で打ち出す病院の薬は別として、漢方薬に関しては手書きで薬の袋に名前や日付を書いている。名前を書き損じることはないが、日付に関しては朝から間違い続きで、いくら薬袋を無駄にしたろう。9割以上の確率で書き損じたから、かなりのものだ。この9割も例えば午前中に限って言えば10割近い。ほぼ全員間違えた状態だ。
 無意識の内に29年と書いてしまう。それはそうだろう、1年間無意識の領域に閉じ込めた29年だから、頭より手の方が先に動いてしまう。29年と書いたところでそれでも何故か100%気がつく。この気がつくのもまた不思議だ。無意識にうちに間違ってしまうことへの警戒心が備わったのだろうか。
 考えなくても反射的に体が動く?自転車に乗ること、そろばん、車の運転もそうかもしれないし、泳ぐこともそうかもしれない、あとは・・・思いつかない。考えてみれば若いときに手にした習慣以外は、反射的に出来ることなどはない。今では時間差攻撃もはなはだしい。
 来年には平成が終わるから、いっそのこと西暦を使おうかと考え昼からは2018を使ってみたが、自分では慣れていないのと4文字になるからやはり平成を使うことにした。どうせ数日もすれば30と言う数字を反射的に書くことが出来るようになる。毎年繰り返す間違いだが、毎年新たな習慣をあっという間に身につける。どうでもいいようなことに拘れるのは世の中がまだ平安な証拠だ。ただし明日の保障などなにもない。十勝沖が激しく動くか、東海か南海か。激しく動くのは大地だけではない、北の将軍様やカルタだけではない。民衆と一くくりにされる人たちだってときに激しく動く。