上品

 学歴も経済力も顔立ちも決定的な要素ではない。備わっていることに越したことはないが、それらで代替できるものではない。
 今日、かの国の女性10人を神戸に連れて行った。この2年間の失敗経験を生かすべく、神戸在住の方に応援を頼んだ。人でごった返す元町商店街を、前後に挟んで、勝手な行動を押さえ込もうという魂胆だ。案の定これがうまくいって、あの商店街を走り回ったり、派出所を尋ねたりする事がなかった。90点の出来だと言える。
 途中でも、別れる時でも、旨くいったことを感謝した。今回日本語が満足に出来る人が1人もいないから、かなり緊張して出発したのだが、助っ人の女性と会えてからは一気に緊張感が取れた。
 大学で外国語を教えるその女性にとっても、かの国の言葉はまるで分からない。お互いまるで分からないはずなのに、かの国の女性たちは臆することなく話しかける。それどころかあつかましくも彼女にカメラマンを頼んだり、腕を組んだりしていた。僕の「友達」と紹介した女性がよほど気に入ったみたいで、帰ってから「また会いたい」と要望された。牛窓に帰ってから通訳を介して何故会いたいか尋ねてみた。少ない語彙の中から探したのは「やさしい」だった。ただそれは当然過ぎて、一番彼女達の心を表現する言葉ではないだろうなと思った。そこで僕が一番彼女を表現するためにあたっているだろう言葉を伝えた。それが「上品」なのだ。その言葉を聞いた事がないみたいでスマホで意味を調べていた。すると数人が同時にその意味を見つけたらしくて、「ソウ ソウ」「オトウサン ソレデス」と言った。
 今回の小旅行も最大級のお礼を言われたが、その中にこの触れ合いが入っていることは確かだ。「クニニカエルマデ、マタ、〇〇サンニアイタイ」と要望されたから。以前京都を案内してもらっていた女性にも、そうした要望があった。そこでドッキリを仕掛けて「マタ アイタイ」を実現した。今回の方にも是非そうした機会を作りたいが、どうしてこんなに仲良くなれるのだろう。タイプは違うが、二人とも日本女性が失いつつある「上品さ」を持っているからだろうか。