老衰

 何でも褒められれば嬉しいものだ。別に僕や僕の家族が何をしたでもないのに。してくれたのは、叔母の妹と従姉と老健施設のコスモスの先生やスタッフの人たちだ。  打ち合わせに来た葬儀屋さんが「お母さんの着物は見事でしたね。あんなにしてもらっているのは見たことがありません」と言った。夜の12時過ぎに施設から連絡があり、母が亡くなった事を知った。覚悟はしていたが、眠りについて1時間辺りで起こされるのは辛い。ましてそれから1時間近く車を運転して施設まで行かなければならなかったのだから、体調的にはかなり負担で、吐き気もしてきた。しかし、施設に到着し母の姿を見てからは調子も上向いた。医師やスタッフの人の真摯な姿に頭が下がった。もともと母の実家近くで、過疎の村だから人はとてもいい。その村の人が多く介護職員として働いているのだから質が良いのは頷ける。  葬儀屋さんが言った言葉は2つの意味に取れるから僕は質問した。「着物が見事とは、着物自体が高級と言う意味なの、それとも着物を着せてもらったことなの?」と。と言うのは、葬儀屋さんが到着して紙袋から浴衣を出していたから、着物を着せてくれていたことが見事だったのか確かめたかったのだ。すると彼は、着物自体の品が良かったことと、着物の着付けがとてもしっかりしていたとを教えてくれた。多くは、ただ着せるだけらしい。だからコスモスの職員が着付けを勉強しているかのごとく見事に着せていたことを褒めたのだ。もっとも、着物自体も、従姉の叔母、彼女はある町の町長の奥さんだった人だから恐らくいい着物だったろう。それを惜しげもなく母のためにくれたのだ。母の人徳に尽きると思う。  全く、褒め言葉に我が家が関与していないのは明白だが、母の旅立ちに当たって、僕の家族への最高の慰めに聞こえた。亡くなるわずか数時間前に見舞った従姉に何か喋っていた母は、その後いつものように眠りながら亡くなった。死亡診断書には「老衰」と書かれていた。いつもの眠りの単なる延長。痛くも痒くもなく二度と目覚めぬ眠りに就いた。理想中の理想。痴呆も見方を変えれば救いになる。ただし、気高い痴呆なら。

この場を借りて・・・12月13日は人間ドックに行きます。当日は不在のため漢方相談は出来ません。御配慮ください。