機会

 前々から気になっていたのだが、訪れる機会がなく今日までお預けしていた。葉書大の案内にシュークリームの3日間限定販売の文字を見つけたので、かの国の女性達を誘って行くつもりだった。ただし、祭日の今日は彼女達は仕事だったので僕1人で訪ねた。  まず入り口から変っていた。東京のさじ職人夫婦に工房として使ってもらうまで、すなわち物心ついてから数年前までずっとガラス戸だった。ひょっとしたら1世紀近く同じ戸だったのかもしれない。夜になると鉄工所をしていた祖父の代わりに戸締りをするのが楽しみだった。かつては引き戸だったが、ノブを回して開けるドアに変っていた。  一歩足を踏み入れると右側に畳の間が二つ連なっていたが、さじを作るための工房に変わっていて、沢山の工具と材料の木片が一杯部屋の中にあった。ひょっとしたら手狭なのと思うほど多くのものがあった。  生まれたときから大学生まで上り下りしていた階段を上ると再びドアがあり、2階の空間が目隠しされていた。目隠しを外すと、それは全く想像していたものとは異次元の空間で、驚き以外の何物でもなかった。「どうせ壊す以外ない」と決めていた古民家が見事に生まれ変わっていた。それもほぼ手作りで。  この手のものに疎いから表現に限界を感じてしまうが、表題的には「住めなくなった古い家が、魅力的な空間に変った」と言うところだろう。天井板を取り払い天井が随分と高くなった。壁は漆喰を塗ったように清潔感と安定感がある。そして一番のヒットは何と言っても窓だろう。祖父母が暮らしていた頃は、1間くらいの引き戸の窓だったのだが、今日見た窓は、南側全部に広がり、港と遠景の半島が、まるで絵画のように見える。そうまさしく絵画だった。フェリーが発着し釣り人がさおを投げ、小さな漁船が行き交い、沖にはヨットが浮かぶ。むしろ絵画と言うよりは、映画のシーンのようだった。よく晴れて、空が青く半島の山々が少しだけ紅葉しているのも美しかった。自分のふるさと、生まれ育った家、すべてが新鮮だった。懐かしいのではなく新鮮だった。そこにあったのは過去ではなく未来だった。  こうした職人や芸術家といわれている人たちには濃密なネットワークが出来るみたいで、カフェ風の店の中に数人の作品がまるで日常に存在しているがごとく陳列されていた。ガラス工芸、織物、ドライフラワーで作ったリース?焼き物?・・・わからない、表現できない。  今日は、東京から若い女性の方が来られていて、その女性がシュークリームを作ってくれた。東京でお店をしているのかな。さじやさんの奥さんが「牛窓には生クリームを食べるところがないから食べたくなった」と言ったが、そんな理由で東京からわざわざプロが来るの?と思ったが、牛窓の飾らない風景を見ることが出来れば、それもありかと納得した。シュークリームを食べるのは少々テクニックが必要で難しかったがおいしかった。甘いものを極力我慢しているが今日は特別。僕とは全く感性の質が違うその女性や、さじやさんの奥さんと3人で話をした。たまにはこうした苦手な、疎い分野の人と話をするのもいいことだ。勉強になる。僕にとってAはAなのに、彼女たちにはBだったりする。  娘が「お父さん、一度も行ったことがないんでしょう」と最近僕に言った。僕は自由に使ってもらいたくて遠慮していたが、僕の懸念など必要ないことがわかった。彼らは僕ら素人が考えられないような独創性を持って作品はもとより空間まで作ってしまう。良質であるという前提は必要だが、違うって言う事は、異なるって事は面白いものだ。

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