瀬戸内海

 シルクロードの名付け親として知られるドイツの地質学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェンは、1868年、アメリカから中国への航行中、瀬戸内海を初めて目にしました。彼は「支那旅行日記」で、その美しさを世界に伝えるとともに今日の私たちに警鐘を鳴らしています。 「優美な景色で、これ以上のものは世界の何処にもないであろう。将来この地方は、世界で最も魅力ある場所の一つとして高い評判を勝ち得、沢山の人々を引き寄せることであろう。(中略)かくも長い間保たれてきたこの状態が今後も長く続かん事を私は祈る。その最大の敵は、文明と以前知らなかった欲望の出現である」    恐らくまだ侍がうろうろしていた頃に、ドイツ人がアメリカから中国への途中に日本に寄った。このことだけでも驚きだ。どういった交通手段でその旅をしたのだろう。船に蒸気機関車に馬に人力車に駕籠(かご)に歩きに・・・瀬戸内海を船から見たらしいが、その感想の文を読んで同感だ。100年200年先まで洞察する能力は僕にはないが、綺麗でいつまでもこのままであって欲しいと願う気持ちは同じだ。  上記の文章を書いた方が問題にしているのは最後の部分「最大の敵は文明と欲望の出現」と言うところだ。そして以下の文章につながっている。

 1934年3月豊島を含む備讃瀬戸は日本で初めての国立公園の1つに指定されました。つまり日本が後世に残すべき景勝地として指定されたのです。豊島は42年にわたって、有害産業廃棄物不法投棄事件と闘ってきました。かつてはごみの島と呼ばれたこともありました。この歴史は世界に知れわたることとなりました。

 よくもあんな予言が当たったと思う。当たってはいけないが、正に懸念したとおりになった。先を見通すことが出来る人っているものだ。今の政治屋に教えてやりたいくらいだ。そして悪いやつの後はこれまた不思議で、善良な人々が現れよき出来事が起こる。

 2017年3月、91万トンという廃棄物と汚染土壌の撤去が完了しました。これでごみの島という汚名を返上し、ごみを乗り越えた島として歩み始めることに確信が持てると感じ始めています。    同じ瀬戸内に暮らすものとして喜ばしいことだ。島を削ってもいけないし、島を埋めてもいけないし、海も汚してはいけない。宇野から四国フェリーで高松に渡るときに、多くの島を見る。大きな船に混じって、蟻のような小さな漁船も横切る。海で暮らし島で暮らす人の息吹を感じる。フェリーを追っかけてくるウミネコの白さが気持ちいい。風に乗り、波に乗り、雲に乗る。

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