在来種

 「生まれてきてさえいなかったら・・・」岡山駅に隣接しているホテルの外階段の踊り場から下を眺めながら、こんな言葉が浮かんだ。3階建ての建物の上から眺めているような景色だった。駅の正面ではないから、目的地までの近道などの理由があって歩く人達ばかりだったが、まさか真上から覗かれているとは思わないだろうから自然な人の動きが観察できる。もっとも僕には人間観察の趣味などないから意図してみていたのではなく、単なる待ち合わせまでの時間つぶしだった。  さすがに牛窓と違って若者が多い。ただし、都市部でも嘗ての若者がやたら目に付いた光景とは変わって、比較的多い状態と表現したほうが正しいだろう。行き交う人の特徴は、一人で歩いているのは、ほとんど日本人。3人以上は外国人。何処となく違和感があるのですぐに分かる。携帯電話を耳元に当て大声でしゃべる、足を外側に向け歩く、やたら靴が目立つ、勿論顔つきも。この中でいくつかあてはまればほぼ100%アジアの人だ。ひょっとしたら眼下を通っていった人達の20人に1人くらいがそれらの人だったのではないかと思う。平日の過酷な労働から解放されて岡山駅周辺に遊びに来るのか、また散り散りになって働いている人たちが集うのかわからないが、僕には好ましい光景には見えない。何故なら、本来なら彼らが就いている仕事は日本人のものだ。彼らの数だけ日本人の仕事が奪われている。彼らが持って帰る給料の総額も、本来なら日本に残るものだ。物言わぬ日本人は仕事を奪われ金を奪われ、おとなしく傍観しているだけ。  鬼業家は目先の利益が大切と見て、給料が安ければ犬でも雇う。ところが鬼業家も安心しておれないだろう。会社ごと中国企業にのっとられる日が来ている。給与所得者だけを冷たい海に放り込み、自分達は豪華客船に乗っているつもりでも、すぐ傍に巨大ハリケーンは近づいている。船ごと海底に沈める力を持ったハリケーンだ。  戦争を知らずに育った僕らは、戦争に行き殺し殺されることもなかった。高度成長を経験し、車も買えて家も建てる事が出来た。子供は大学にやれ、年金ももらえる。運のいい世代だった。ところがこれからの青年はどうだ。アホノミクスは自分の仲間にはぼろ儲けさせるが、庶民の給料は上がっているか。アジアの貧しい国からやってくる人間と競わされて、勝てるわけがない。憲法を変えて再び貧しい青年を軍人とし、自分達の意のままに動かそうとする。命を捨てて守るのは家族であって、政治屋や鬼業家ではない。スマホで去勢され無力化され、貧困と呼ばれる階層に甘んじる。  僕が見たかったのはそんな光景ではない。僕が見たかったのは、眼下に見える光景ではない。ため池に放たれた外来種に駆逐される若き在来種の姿ではない。   https://www.youtube.com/watch?v=qzCS6Biazzg