電動のこぎり

 思い出させて悪かった。それもかなりグレードアップした「似た話」だったから。高所恐怖症の彼だから、思いだして血の気が引きそうになったのかもしれない。数回、隣の椅子にもたれかかろうとした。最初は関西人特有の冗談だと思っていたが、何回目かには顔が引きつっていたから正味なのだとわかった。  ただ手のひらに大きな包帯を巻いていたら誰だって尋ねるだろう「どうしたの!」と。漢方問屋のセールスだから行くところ行くところ尋ねられるのも仕方ない。僕らは「どうしたの?」から始まる職業なのだから。まして漢方薬を中心にやっている薬局ばかりだから「治して何ぼ」の人間ばかりでおせっかい屋もいるだろう。  案の定彼は1ヶ月の間多くの人に「どうしたの?」を浴びせられ、色々な処方を教えられたらしい。僕はその数々の助言を聞いていて、結局は自然治癒だなと思った。どこの薬局もあまりにも理論に忠実で、彼の苦痛を出来るだけ早くとってあげるのには役立っていないような気がした。  彼の包帯で覆われているところを見せてくれたが。6~7cmに渡って傷口が蛇行していた。まるで筆で線を引き損ねたようにアットランダムな線が引かれていた。それもそうだろう、1ヶ月前に電動のこぎりで枝を切っていたときに、突然、それは一瞬だったらしいが、電動のこぎりが跳ねて彼の手の甲を走ったらしいのだ。奥さんの実家の道路に垂れ下がった木の枝を切っていたらしいのだが、自分の手まで切ってしまった。良くぞ指も手も残っていたなと思ったので「僕の伯母さんは昔、電動のこぎりで指4本を落とした。それを見るのがつらかった」と言うと、彼がうろたえだしたのだ。「ああ、思い出すと気分が悪くなります」と頭を抱える。トラウマとはこんなものだろう。何度か「指や手首を落とさなくて良かったね」と安心させようと思って言ったが、それがその都度消してしまいたい記憶を呼び起こしていたようだ。  まるで親切が仇になるを地で行った様な話だが、人の本当の感受性までは推し量れない。時に繊細に、時に大胆に、時に悲しげに、時に楽しげに接しなければならないが、それを意図するのは好まない。自由な心で接する、一番簡単なことだ。身につけなかったことで救われることもある。

https://www.youtube.com/watch?v=Dazhi3Z1c6k