覚悟

 今日は多くの人の不調を聞かされた1日だった。そもそも朝のあの出来事が今日を予言していた。   牛窓町を出るあたりから「僕の車って、乗り居心地がこんなに悪かったかなあ」と思いながら運転していた。舗装道路の劣化かなと思いながらそれでも、最近急に舗装状態が悪くなったとは考えられないし、場所によっては以前のようにスムースに走ったので、何となく違和感を感じながらも運転していた。30分くらい走ったところからさすがに「これはおかしい」と思い始めた。その後すぐにこれはパンクだと思えるほどの、振動を感じて車を止めた。見るとタイヤが引きちぎられたようになっていて、ホイール?に巻きついていた。よくこんな状態でここまで走ってこれたなとそこで初めて恐怖を味わった。どうりで僕の後ろの車が車間距離を詰めずにずっと離れて付いて来ていたのがよく判る。火でも噴くのではと思ったのではないか。  僕は携帯電話を持っていないから、車のディーラーに連絡するために公衆電話を捜さなければならない。ところが、これがない。車を止めた空き地が国道から離れていたこともあるが、大きなスーパーまで10分くらい歩いた。結局、ディーラーの方が来てくれて、再び車に乗れるようになるまで2時間近くかかった。空き地で立ったまま援軍が来るのを待つのはストレスだったし、冷気で腰も痛くなった。  タイヤを交換してもらってから母の施設を訪ねた。最近ほとんど眠ったままの母しか見ていないが、今日も目を閉じて安らかな呼吸をしていた。ベッドの傍らで母の寝顔を見ていたら看護師さんがやってきて、最近はあまり食べないこと、車椅子に腰掛けさせると横に倒れるようになること、目を開けないことなどを教えてくれた。そして今日は午後点滴をすると言った。看護師も言っていたが、どう見ても病気ではない。恐らく老衰と言うものだろう。もしこのまま永遠に眠れたらどれだけ幸せだろうと思った。死が眠りの単なる延長でしかないと信じれるから。本人はどれだけ楽だろう。僕らが眠りに落ちる瞬間と同じはずだから。何故か僕は、今日お別れをしておかなければならないと思った。今日なら僕の言葉が届くのではないかと思ったのだ。そして、何回も何回も大きな声で「おかあさん、長い間ありがとう」と声をかけた。「天国から家族を守ってね」と勝手なお願いもした。1日も休まず何十年薬局の手伝いをし、5人の子供を育ててくれたことに心から感謝だ。自慢の母親だった。初めて大きな声でお礼が言えたような気がした。父が亡くなる前に僕に「お母さんを頼むよ」と言った。母が好きな僕だから当然すぎることだったので意外だったが、今日は父に約束を守ったよと言った。母をこの施設に入れた時も罪悪感で涙を流したが、今日も涙が止まらなかった。心の中で母がいなくなることを覚悟したから。これで実際に亡くなっても僕は涙を流さなくてすむだろう。  午後からの研究会の場で仲間達の中で3人の体調不良が分かった。もっとも30年以上続いている会だから、僕の娘以外はそれなりの年齢なのだが、中には僕より下の人もいる。そうした人も含めた15人中3人だからかなりの確率だ。  何が起こるかわからない。何とか今日1日のスケジュールをこなして帰路についた時、頭の中に浮かんだ言葉だ。