爆弾

〇〇ーさんへ  3ヶ月と言う短い期間でしたが、親切にしてくれてありがとう。あなた達と過ごすのは楽しいのですが、お父さんは腰も痛いし首や肩も凝るし、年齢には勝てないところが増えてきました。それをあなたは見抜いてとても熱心にマッサージをしてくれました。運転中に初めて貴女が後ろの席から手を伸ばし肩をマッサージしてくれたときには感激しました。先日は1時間半もマッサージをしてくれました。こんなに親切にしてくれる人がほかにいるでしょうか。偶然ですが、あなたにめぐり会えたことを感謝しています。  1つだけ土産話を聞いてください。あなた方と丸亀城に行ったときに、僕の前をスイスイ坂道を登って行くあなたにびっくりしました。僕は1 00人くらいのベトナム人と多くの時間を過ごしましたが、僕の前を歩くことができる人を見たのは初めてです。みんな100メートルくらい後 ろを歩くのが普通でした。でも、あなたは坂道でも同じ速さで登って行きました。そして後姿を見て思ったのです。50年近く前、僕が大学生の 時、ベトナム戦争反対のデモなどに行っていた頃、写真で見かけていたベトナム人の姿によく似ていると。足腰はしっかりしているのに上半身はとても華奢。日に焼けて天秤棒で荷物を担いでいる姿です。そういった人達に空から爆弾を落とすアメリカが憎くて僕ら青年はデモに行ったのです。ジーンズにくすんだ色の服。少しも化粧をすることなくぞうり姿で日本で暮らしたあなたは、正にあの頃の僕ら青年が見続けたベトナム人の姿だったし、当時一緒にデモなどに行っていた日本の女子学生の姿と同じだったのです。当時の日本はまだまだ豊かではなく、青年達は正義感を持っていました。遠く離れた国で爆弾の下で暮らす人々のことを思いやる気持ちを持っていました。貴女を初めて見たときに、僕はあの頃に帰ったのです。  面白いことにこれは全て僕の想像でしたね。あなたがお百姓をしたことがない都会の人と聞いて、思わず笑ってしまいました。勝手な想像をめぐらせて思いにふけっていただけですから。だけど、頑(かたくな)に写真をとられることを拒否したり、質素な衣服はまるであの頃の僕とそっくりなのです。国に置いてきたお子さんを思い出して泣いているという話を聞いて、優しいお母さんということも知りました。早く国に帰ってお子さんを抱きしめてあげたいでしょうね。短い時間に、僕を青春時代に連れて帰ってくれてありがとう。お父さんはまた、次から次にやってくるあなたの後輩たちをもてなします。それはお父さんの楽しみです。またあなたのような人と会えるかもしれないから。  いつまでも幸せに・・・・・・・・・・日本のお父さん