渡り廊下

 12時にかの国の女性たち11人と待ち合わせていたのだが、駅に着くのが30分くらい早かったので時間をつぶすことにした。台風の通過中と言うのに岡山駅は人でごった返していた。その人並みを避けようとして案内にしたがって歩いてみると隣接しているホテルグランビアまでいけることが判った。どうやら渡り廊下でつながっているみたいで、近づくにつれ行き交う人が減り、渡り廊下辺りでは時折大きな荷物を持った旅行者くらいとしかすれ違わなくなった。  どう見ても僕の風情では豪華なホテルに用がある人間には見えないので、ホテルの中まで入っていくのははばかれた。都合が良いことに渡り廊下から外部に通じる階段があり、屋根までついているのでその踊り場から待ち合わせ場所の噴水を伺うことにした。踊り場と言っても、駅の2階とホテルの2階を結んでいる廊下の半分の高さくらいだから、普通の家の屋根より高い。下を歩く人がよく見える。その短い時間に、東洋人と思しき人がとても沢山目に付いた。外股での歩き方、靴や服装、大声の会話、或いはタバコを吸う人の多さなどですぐに分かる。  企業の手先のアホノミクスは低賃金で働くアジアの人間を移民と言う名を隠しながら沢山入れている。今やドイツより多いとも言われている。早晩彼らは増殖し、コミュニティーを確立する。そうすれば手の打ちようがなくなるだろう。ヨーロッパやアメリカを見ていればよくわかる。土着の国民を駆逐して価値観まで破壊してしまうだろう。  僕ら戦後世代は戦争を経験しなくてすんだ。高度成長の時代を青春期以降体験した。運がよかったと思っている。ただ気がかりは、恵まれた青春時代を送っている今の日本の青年たちが、彼らアジアの人には勝てないということだ。あの、いい意味でも悪い意味でも貪欲さに勝てるわけがない。温室の中で育ったものが路地ものに勝てるわけがない。  嘗て青春時代、僕も国境がなくなって世界市民として共生するなんてことを夢想したことがあるが、あまりの価値観の違いに、それはまだまだ時期尚早だと気がついた。もう少し、いやいやもっと何世代か時間を経た後にでないと難しいと思う。保守的な考えかもしれないが、そうしないと日本の若者を守ることは出来ないだろう。装飾された経営者側の言葉を信じるのは危険だ。企業だけが生き残って、いや、経営者だけが生き残って日本の若者がアジアの人の下で働く、そんな時代が来そうでもなお、アホノミクスの存在を許すのか。徒党を組む異国の人間におびえながら暮らせというのか。もう待ったなし。