神輿

 もうこの真似は出来ない。逆によくやっていたと思うし、やはり若さはエネルギッシュなのだと再認識した。いつか通った道なのだがはるか昔に思えてくる。わずか20年くらい前までやっていたのに、今は命がけくらいに大変に見える。。  いつ中止の放送が流れるのかと思っていた。ところが開始2時間前に中止どころか決行の放送が流れた。この雨の冷たさが主催者にはわからないのかと思うが、主催者は分別のある人だから、だんじりを1年に1回引っ張ることを楽しみにしている人たちの願いを優先したのだろう。彼自身の思いいれの強さも影響したのだと思う。  牛窓の一番栄えたのは室町時代か江戸時代か。その頃牛窓は瀬戸内海を行き交う商船や朝鮮からの使節の立ち寄る町として栄えていた。当時の名残で遊郭も多くあったらしい。格子がある家が海岸通に並んでいて、僕が幼いときにもその面影は残っていた。その影響で牛窓の祭りで曳かれるだんじり半襦袢で女装した若者達による。だらしない、まるで遊女のような格好で曳く。顔も当然厚化粧だから恥ずかしくて酒でも飲まなければ出来ない。飲めば普段おとなしい若者でも御法度を無視して祭りに参加できる。2車線道路を縦横無尽に綱を持って揺れながら引張る。交通整理も勿論たてているが酔った方が勝ちだ。長い渋滞を作ってくれる。まるで僕らが若いときに参加していたデモみたいで、ひょっとしたら僕ら世代は当時を思い出しながらだんじりを曳いていたかもしれない。何となくよく似ている様な気がする。  もうやけくそか酒によってわからないのか、合羽も着ずに濡れるに任せた格好で、出発して1時間位してだんじりが薬局の前にやってきた。さすがに道路を左右に練る様なことをせずに、ひたすら直進していた。早く目的地に着こうと言う暗黙の了解が皆にあるのだろう。昨年から我が家も接待をさせてもらうようになったが、さすがに冷たいビールには皆手が出ずに、燗をした日本酒に手を伸ばしていた。つまみは色々と用意したが、人気だったのは、かの国の女性たちが作ってくれた生春巻きだった。折角だから、たれもかの国のままにしたが、若いから何でも食べられるのか酔っていたのか分からないが、1つ残らず食べてくれたらしい。奇抜な化粧に雨に濡れた半襦袢、酒を飲み春巻きをかじる。嘗てなら当然僕もその光景の中にいたのだが、だんじりを曳くことはもちろん、どのパーツにも参加できないと思った。  明日は牛窓神社から神様が神輿に担がれて降りて来て町中を回る。ただし、さすがに台風の接近で中止だと思う。がしかし、これもまた楽しみにしている人たちも多く神主がどう判断されるか。だんじりも神輿も現代で言えばそんなに楽しいものでもないし珍しいものでもない。しかし、僕も含めて人はそれを守ろうとする。どういった力があるのだろう。見たこともない御神体を信じて。

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