印象

 頑なに写真を撮られることを拒む。冗談に隠し撮りをすると、笑いながら怒る。数回目には逃げる僕を追いかけて肩をつかんだ。その力の強さに驚いて本心で嫌がっていることを悟った。かの国の女性達の写真の撮られ好きには驚くことしばしなのだが、逆の人に会ったのは初めてだ。数週間前に高梁で行われた大道芸の大会を見に連れて行った時に、ひたすら写す側になっていたのを思い出した。その時はなんとも思わなかった。お姉さんだなあくらいな印象だった。  ところが今日の行動で本物だとわかった。3ヶ月の短期の応援部隊として日本に来ているが、運悪く和太鼓のコンサートもベートーベンのコンサートもない。だから何とか理由を見つけて小さな旅行を楽しんでもらおうと思って見つけたのが、前回の高梁の大道芸と今日の高松の大道芸だ。もっとも同じ大道芸でも街の規模に比例して内容はかなりの差があった。高梁の場合は舞台が1つで5組の芸人が出てくるのだが、高松は5箇所くらいで同時進行でパフォーマンスが行われる。どれを見ようか迷うくらいだ。そして芸人のレベルがかなり高い。ひょっとしたらその道で有名な人もいたのかもしれない。1度実際に見てみたいなと思っていたレベルのものが、今日はたくさん見ることが出来た。  話を元に戻すと、僕はその女性に40数年前に抱いていたかの国の女性のイメージを重ねたのだ。当時、アメリカの爆弾におびえるかの国の女性達の写真をよく見た。ぼろの服とズボン。やせこけた顔、やせこけた上半身、そしてたくましい下半身の女性だった。正にそのままの女性が僕の前を歩く。最近のかの国の女性は、日本人以上におしゃれで、僕を面食らわせる。僕がかの国の人たちに親切にする理由の多くが、爆弾から逃げ惑う女性達の写真の影響だから。  かの国の現在の女性は、よほど鍛えていないのか足がすこぶる遅く、少しでも歩くことを要求すると困り顔をする。だから常に振り返ってついてきているか離れ過ぎていないかを確認しなければならない。その点今日の女性は僕が会った100人にも上るかの国の女性の中では珍しく僕より常に先を歩いた。特に丸亀城の急な坂でもペースを落とすことなくすいすいと上っていった。どっしりとした下半身、そして足の運びの力強さには驚いた。スポーツをしていたのと思わず尋ねたほどだ。かの国の女性でスポーツをしている人などほとんどいないが、となるとお百姓仕事だ。  案の定、お百姓をしていたそうだ。なるほど隠すことを諦めたくらいしみがあり、日にも焼けている。服装にはまるで頓着しない。そのまま畑に出てもいいくらいの様子だ。嘗て僕がイメージしていたかの国の女性そのままだ。寮に帰ってから通訳にそのことを話すと、通訳が教えてくれた。その女性は工場でも力がいる仕事を任されているが、その合間に他の仕事を手伝う。通訳自身も僕と同じ印象を持っていたらしくて、彼女は家族のために頑張っていて、自分のための買い物など何もしないらしい。  僕の感じ取ったことが正しかったみたいだ。誰にでも分かるオーラと言うものが出るのだろうか。  家族がいて仕事も熱心に出来る。幸せでない理由などないみたいだが、今以上の幸せを祈らずにはおれなかった。