好感度

 隣の家は築90年と説明を受けたが、何度かリフォームしていてそのようには見えない。1年前までは普通に住人が暮らしていたし、その後は亡くなった方の兄弟姉妹が別荘代わりに使っていたから、意外と綺麗だ。ただ、亡くなった方が僕と気が合って、いやその方のお父さんとも気が合っていたが、なにぶん2人ともアル中に近く、晩年はその父子だけで暮らしていたから、別荘代わりの前はかなりのものだったと想像はつく。その片鱗はやはり残っていて、片付けるときにはなかなか大変だった。とても素人が片付けられるレベルではなく業者を頼まざるを得なかった。  片付ける前に10月から住人となるかの国の女性達が、使えるものがないか見に来た。と言うのは僕が業者に全て片付けてと言うのを、雇い主の企業の職員が聞いていてかの国の女性に教えたらしい。そこで選抜された3人がやってきて、家の中にあるものを全て「使うもの」と廃棄するものに分けた。  3年間の仕事の後は、多くの荷物を持って帰るが、そのほとんどはお土産だ。生活に使った物は基本的には持って帰らない。次に来る人たちにまわす。だから個人のものは基本的にはないのだが、国で質素に暮らしてきたからだろう、別荘代わりに使ってきた人たちが不用品として捨てるために集めていたものの中から、使えるものを次から次へと見つける。そこまでしなくてもと思うが、床に腰を下ろしじっくりと見定める。懸命に働き、一所懸命溜めたお金を親に送る。3年間競うように残業をこなし、健康を損ねることなく帰っていく。その姿と重なる。  僕が正に彼女達に尽くそうと思ったきっかけだ。僕がかかわる会社は現地の従業員4000人の中から選抜されてきているから文句なしに善良な人々が多いが、そんな人の割合が近年少なくなった。岡山の街に出るときに、何故彼らがここで、何をしているのと言うような光景に出くわすことが多くなった。彼らの先輩達が10年くらい前に心配していたことが現実に起こり始めている。  いよいよ10月の7日から暮らし始めるらしいが、近隣の家々をあいさつ回りに連れて行こうと思う。日本人より日本人らしい人も多く、あの子達なら歓迎されるだろう。せめて僕の町では、純朴で勤勉で心優しい先輩達が残した好感度を維持したいと思っている。