ついに見た。いたちを。牛窓ではない。隣の町にある邑久駅の駐車場をゆっくり歩いて横断していた。岡山から邑久駅に着いたのが夜の9時だったから、夜行性で出勤途中だったのかもしれない。広い駐車場に車が10数台止めてあったが、いたちにも見慣れた光景で、車やそれに乗る人間の動きは計算済みなのだろうか。僕が結構近くまで歩みを進めていたのに、あせることもなく悠々と横断した。むしろ猫のほうが警戒心は強いくらいだ。  これで瀬戸内市の動物園も段々役者が揃ってきた。大きいのは鹿、それに続いて猪、猿、狸、いたち。もっと色々なものがいるだろうが遭遇しないだけだろう。作物に被害を与えるから人間様にとっては好ましくない存在だ。変幻自在だから、人間様がフェアな戦いをしていると陣地をとられてしまう。今のところ声高に被害を叫ばないから疫人も政治屋も動かないが、いずれ動かざるを得なくなる。ただし、老人の百姓は既に戦意喪失しているから、力づくでなんて考えていない。となると政治屋どもにとっては美味しい仕事ではなくなる。老人が今の与党を支えているから、その人たちが戦意喪失したらいくら疫人を動かしても票にはならない。自分のお友達には法律なんか無視してなにでもする奴らだが、票をくれない庶民など見向きもしない。北の将軍様と同じだ。  それにしてもこの国も、夜の駐車場並みの汚い動物がうごめいている。今日本で一番心が汚い人間を上げろというとアホノミクスの右に出るものはいない。自分の利益を守るために国民何ぞはほったらかしで、あらゆる汚い手を使っている。何でこんな人間と同時代を生きなければならないのかと思うとうんざりする。畑を荒らす獣たちと国を荒らす獣たち。早く若い猟師を育てないとどちらも手遅れになる。