現像

 皮膚病の相談に来た女性の症状の確認のために娘に呼ばれた。僕は近くの相談コーナーで、ある女性の相手をしていた。小さな薬局だから、数歩歩けばその女性の所に行ける。  患部を見せてもらおうとした時僕のほうを見て「同級生」と言った。確かに同世代っぽいが、全く思い出せなかった。断りを言うと名前を名乗ってくれた。顔は100%分からなかったが、名前はわかった。そういった人がいたというくらいだったが。皮膚病を鑑定して、娘と交代する頃には、名前から何となく一人の女性を思い出した。およそ50年前の姿がおぼろげながら浮かんできた。  苗字から、ある地区の名前を出したら違っていた。その苗字ならその部落に集中しているからあたりだろうと思っていたが、あまりにも安易過ぎた。僕はその時点でかなりその女性の中学時代のイメージを思い出していたから、その部落の人でないというのが逆に、核心に近づけてくれた。僕との少ないやり取り、横目で見ていた娘とのやり取りの印象は当時の女子中学生と重なる。その女性が薬局を出て行ってから、目の前の相談者をよそに、イメージが段々鮮明になり、やがて1枚の写真を見るようにその女性を頭のなかに再生出来た。  僕の頭の中のアルバムには、すらっとしてかわいくて微笑んでいる女子中学生がいた。成績も優秀な人だった。その面影は会話の中に見つけることが出来る。ただし様相はまるっきり違う。こんなに50年で変わるのかと貴重な体験をさせてもらった。と言うのは恐らく50年の歳月を経て会った初めての人だと思うから。こんなに長い間会わなかった人に再会した経験はない。だから50年、半世紀の時間がこんなに人間を変えるのかと、分からないくらい変えるのかと驚いた。  と言うことは逆も真なりだ。相手は僕の薬局に来たから僕と言うのが分かるだけで、町中で名乗っても信じてもらえないだろう。なるほど僕もその頃は生物学的に美しかった。しかし今はその面影はない。何度か写真を眺めているから当時の自分が自分と分かるだけで、もし50年前に見たきりだったら、自分でもわからないかもしれない。顔と言うより写真の背景からでしか思い出せないかもしれない。  50年間一度も記憶から取り出していない映像が、数分の内に白黒写真で頭の中で現像された。人間の能力ってすごいと改めて実感した出来事だった。