消息

 風の便りではなく、奥さんに直接聞いた。「あの人が!」と言う驚きの声が思わず上がった。  薬局に入ってくるなり「お久しぶり」と言われて顔を見るが、思い当たらない。初めて会うのにひどく馴れ馴れしく、久しぶりを強調する。向こうが僕を知っていて、こちらが知らないのは失礼だから、自然に妻と替わった。僕はそのまま調剤室に退散したが、妻はえらく親しげに話し始めた。その声に聞き覚えがあってそれこそ一瞬の内に誰だかわかった。数年前まで頻繁にやってきた女性だ。それも僕が牛窓に帰ってからだから40年くらいの付き合いになる。ところが数年前から急に来なくなった。数年の時間がひどくその女性を老けさせ、誰だか分からなくしていた。ただ声は顔ほど老けないみたいですぐに分かった。  確信したので「〇〇さんなのと言いながら調剤室から出た。僕が思い出したことを喜んでくれたが「もう80歳になるんです」」と僕が思い出せれなかった理由を察してか聞きもしないのに自分の年齢を言った。人はある年代から急に老ける。その女性もそうなのだろう。でもその老け具合に驚いたのではない。女性の御主人の消息に驚いたのだ。御主人は、体格が良くて丸坊主だから、一見その筋の人間に見える。おまけに目つきは悪く睨みつける癖があり、言葉遣いも荒い。単純化して言えば、ヤクザのような普通の人だ。正面から歩いて来たら多くの人が道を開けるに違いない。そんな彼が、痴呆が進んで施設に入っているという。もう数年前から徘徊するようになり、警察の世話にもなったらしい。仕方なく施設に入れたのだが、面白いことに、いや当然といえば当然か、痴呆になっても口が悪くて職員も入居者も困っているらしいのだ。さすがに暴力を振るうことはないが、ヤクザのような普通の人が、ヤクザのような痴呆になっている。だから可愛くもなんともないらしい。あの御法度の裏街道を歩くような風貌や態度から、会社でも地域でも孤立していて、それを酒でごまかしていたらしいが、脳細胞を養うことをしなかったのだろう。多くの字に触れ、多くの言葉に触れ、多くの笑顔に触れ、多くの芸術に触れ、多くの人に触れていたらあの若さで痴呆にはならなかっただろうに。当時の独特の雰囲気から考えられないような現状が余計哀れに感じる。いきがってもダメ、人様のために何が出来るか、いつも頭の中をそれで満たしておけばいい。