若竹荘

 思わず「へーぇ!」と声を出した。どういった感覚だろう、ありえないとなるほどの中間あたりだろうか。あの築90年の家に名前をつけなければならないとは。誰のために、何の為に。  相手が企業だから、なあなあではすまないらしい。僕は単なるおせっかいだから、使ってもらう家がどうなってもかまわない。故意に傷つけられたら、さすがに気持ちは良くないだろうが、不可抗力なら気にならない。ただ借りる側はトラブルを避けたいだろうから不動産屋さんを連れてきた。会社と関係あるみたいだから向こうのペースだが、僕は多くを期待していないから一向に構わない。こういうときは相手が一流の企業だと気が楽だ。  今日契約書を作りに不動産屋さんが来た。その時に例の家に名前をつけてくださいというのだ。古民家に名前をつける意味が分からなかったが、これから色々なやり取りがあるから、名前をつけて欲しいというのだ。その名前が表に出るのかどうか気になったが、それはないらしい。看板を上げるのではなく形式上に近いから、とりあえず考えることにした。ただし急に言われたから意外と即答できないもので珍しく考え込んでしまった。  僕が学生時代世話になっていたのが、鉄扉の3畳間に小さな洗面器だけのアパートで、炊事場とトイレと風呂は共同だった。そこのアパートの名前が若竹荘だったので、何々荘が懐かしくなっていくつか提案した。不動産屋さんの若い女性は、書類に書き込もうとメモの用意を始めた。「行き倒れ荘、怖荘、懐かし荘、土葬、水葬 家族荘、アホノミクス辞めさ荘・・・」結局彼女は、ペン先を紙にはつけなかった。そこで僕は和風を諦めて洋風にすることにした。若いスタッフだから洋風のが馴染みやすいだろう。実際に僕が漢方薬を送っている人達もほとんどが洋風の名前のところに住んでいる。そこで再び提案を始めた。「レジデンスTAOREKAKE、レジデンスSIROARI、レジデンスSONNTAKU レジデンスKAKE レジデンスUSOTUKI レジデンスDOAHOMIKUSU・・・」その女性は痺れを切らしたのか「私が決めます。レジデンス貸家」凛として書類の名前欄に書き込んだ。ストレートで気持ちがいい。痴呆直前の老獪な政治屋の不潔ささえも飛んでいく。