引きこもり

 学生の頃心酔した吉本隆明が引きこもりだったのは、今日の毎日新聞の人生相談で初めて知った。このコーナーを担当しているのは高橋源一郎で、その回答を読むのが好きだ。教えられることが一杯ある。足元には及ばないが、似ているところがあると自分では自惚れている。片や小説家、片や田舎薬剤師。比べるのもおこがましいが、世代が近いというところで勘弁してもらいたい。  高橋源一郎が引用している吉本隆明の引きこもりに関するくだりをそのまま紹介する。僕らごとき素人が注釈や解釈を加えるのはそれこそおこがましい。    ・・・・人は何故引きこもるのか。それは「建前」ばかりの社会の裏が見えてしまって、そんなところにいたくないからだ。人は何者かであるためには、孤独に自分と向かい合う「ひとりの時間」を必要とする。けれども、社会が人に与えるのは、こま切れの時間だけで、考える時間を与えようとはしない。「引きこもり」の時間は、人が命がけで獲得した「成熟」のための時間なのだ・・・・。

 学生時代、授業には出ず、柳が瀬の喫茶店でコーヒー一杯で粘り、吉本隆明を読み漁っていた。今思えば僕も形を変えた引きこもりだったのかもしれない。薬学は究められなかったが、あの頃の挫折が漢方薬と一緒に届けている言葉となった。漢方薬だけでは効かないトラブルに言葉を添えることの重要性を当時意図せずに学んだのかもしれない。高橋源一郎が最後に「必要な時間だったのかもしれない」と補足しているが、僕も今はそう断言できる。あの頃がなければ、吉本隆明に巡り会っていなければ、ぼくは人の役には立てない人間だっただろうから。