「その役は僕じゃないとダメか~」と言いたかったが、基本頼まれれば頑張るから、口には出さなかった。だが、正直苦手だ。スーパーへは日曜夜の御褒美のチューハイか焼きたてのパンしか買いに行かないから、前日忘れて帰った肉と魚をとりに行ってほしいと頼まれても・・・。ただ頼んだのは通訳で、自分が日本語の勉強で倉敷に行くこと、車を運転できないことからそのスーパーに自力で行くのが困難なことを思えば、僕は適任なのだろう。いや僕しかいないのかもしれない。  その肉と魚を忘れてきたのが、1ヶ月前に来日した女性たちだから、レジでレシートを見せ、保管してもらっているものを受け取ってくるのはかなり難しいだろう。と言うことで4人のかの国の女性を連れてそのスーパーに行った。  そのスーパーは安いことで有名だ。かの国の人達は、会社の人に集団で連れて行ってもらい、買い物をしてまた連れて帰ってもらう。2週間に1度そうしている。僕は食材の買い物や日用雑貨の買い物をしないから、商品が安いのかどうかわからない。ただ、広い店内に段ボール箱で陳列された商品を見ると、安さの追求がなされているのだと思った。そしてレジ打ちの女性達が結構年配で、僕の年齢に近い人ばかりだった。ただそれは僕にとっては好ましい状況で大いに助かった。  2日連続で来たことになるのに結構彼女達は買い物をする。主にお菓子を買っていた。食材は昨日買ったのだろう。僕は少々待ちくたびれて、レジの外に出て待っていた。そこからレジがよく見える。そして何か僕の常識とは違う光景に気が付いた。レジで荷物を籠から籠に移して本来ならそこで会計を済ませるのだが、レジではお金を払わずに、レジを出てすぐのところでなにやら機械を操作してお金を払っているのだ。無人のガソリンスタンドを思い出した。給油を自分で済ました後、会計を別のところでするシステムそっくりだ。僕はカードなるものを持っていないので、この店では買い物が出来ないなと思っていたら、現金で払っている人が沢山いた。来日1ヶ月の女性達が果たしてこのシステムを使いきれるのかと心配になったので、先ほどの年配のレジの女性に尋ねてみた。するとお客さんがいない合間を縫って説明してくれた。「もし、お金を払わずに行ってしまったらどうするの?」と下世話な質問が口から出そうになったが、それは納めた。そのレジ係りの女性の笑顔が素敵だったので、そんなことは起こりえないと勝手に根拠のない答えを出した。果たして店員さんが若い女性だったら、こちらが気持ちよく教えてもらえるような雰囲気を作り出せれたかどうか疑わしい。  混雑を防ぐシステムなのだろうが、初めて僕は見たので賞賛すると「2年前から導入していますよ」と店員さんは誇らしげに答えた。忘れ物を引き取る役目を仰せつかって、世間に少しだけ追いついた。何もしないより、何かするほうが得ることはある。昔、友部正人が「何にもしないことがなんかすることと同じだったりする、実はこの夏、僕が死んだ」と歌っていて、その歌詞を随分共有したものだが、今は違う。若いときより僕は活動的になったのか。そう言えば僕の昔付いた唯一のあだ名は「動かずの大和」だった。